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宣告
エドワードが目を覚ましたのは、朝の訪れを告げる城下の教会の鐘の音によってであった。
軽やかに、だが頭の芯に響き渡るようなそれは寝起きということでぼんやりとしていた彼の意識を段々に覚醒させていく。
二、三度寝台に臥したそのままの体勢で瞬きをしてエドワードは起き上がった。
そして顔にかかる前髪を面倒臭そうにかき上げると、彼は身仕度を始める。
数刻後には朝議が始まるからだ。
いつもより短い時間で身の周りを整えると、エドワードはもう一度寝台に腰を下ろす。
ちょうどその時、起床時間を告げる金管楽器のけたたましい音色が城に鳴り響いた。
いつもは煩わしく感じるそれが心地よく思えるほど、彼の頭はすっきりとしていた。
いっそ薄気味悪い程に。エドワードは自嘲する。
寝汚いとさえ言われる彼にとって、起床時間前に起きることは珍しかったためだ。
そしてこれほどまでに朝に頭が冴えているのもまた珍しいことであるからだ。
しかし彼は気付いていた。
頭は確かに冴えている。だがそれが上辺だけのものであることを。
舌打ちを一つ残し、朝議に参加するためエドワードは部屋を後にした。
一日が、今日も始まる。
朝議は、いつもと同時刻、いつもと同じ謁見の間で、いつもと同じように開かれた。
交わされる議題もまたこれといって変化に富むものではなく、どちらかというと確認の色が強い。
いやそれは事実、毎日当たり前のように繰り返されている事柄への確認であった。
昨日も一昨日もそのまた前の日もこうであったから今日もこうであるべきだとの、確認作業。
それを格式張った形で行うのがこの毎朝行われている儀式だ。
朗々と響き渡る文官の、何か公的な文章を読み上げる声を聞きながらエドワードはちらり、王座の方に視線を送った。
一段高くなったそこには、椅子が二つ並んでいる。
一つは、このリゼンブールを統べる女王が腰掛けるもので、実際に女王が現在鎮座していた。
そしてもう一つ。女王のそれよりは小さく、繊細なフォルムを有する椅子。
それに座る者は無い。
じくりと腹の奥が騒ぐのを感じながら、エドワードは視線を未だ何かを読み上げ続ける文官に戻す。
後はただこの儀式が終わるのをどこか呆然とした気持ちで待った。
何事もなく朝議は終わり、女王の下に集っていた人々がそれぞれの仕事場へ向かっていく。
エドワードもまた彼らと同じように謁見の間を後にしようとしたその時であった。
彼は女王付きの官に呼び止められた。話を聞くと、女王が呼んでいると言う。
エドワードは少なからず不審さを感じる。
女王が彼を朝議の後に呼び止めることなど今までにめったにないことであったためだ。
その感情を込めて王座に鎮座する女王に視線を送るが、女王の様子は特にいつもと変わらない。
頭をかき上げると、エドワードは官に了承の意を示した。
どう彼が考えようと、主君の命に逆らうことはできないからだ。
女王の前に跪き、決まりの礼と口上を述べようとしたエドワードを、女王は手に持つ煙管で制した。
見ると、謁見の間には彼と女王その人しかいない。
おそらく女王が人払いをしたのだろう。
そこでエドワードは立ち上がると、睨み上げるように女王を見た。
「何の用だよ、ばっちゃん」
「いや、ね。今日はずいぶんとアンタの目付きが悪いのが気になってね」
「ほっとけ!………おい、まさかそれだけのことで呼んだんじゃないだろうな?」
新兵なら間違いなく震え上がる低く響く、脅している様にも聞こえる若き騎士団長の声に、女王が恐れることは無い。
また、その不敬極まりない態度を責めることはなかった。
それどころかからからと楽しそうに笑い、紫煙をくゆらせる。
まるで祖母が生意気な孫をからかうような、そんなどこか穏やかな空気。
謁見の間というこの場にはとてもそぐわない雰囲気がそこにある。
いや、事実彼らはそんな関係に近かった。
両親がいないエドワードと弟のアルフォンスを城に引き取り、本当の孫の様に育ててくれたのは
他ならぬ女王、ピナコその人であるからだ。
だから、兄弟が臣下となった今でも、周りに誰も人がいない時には家族の様に接する。
それが彼ら兄弟と、女王。そして姫君が交わした約束であった。
「おい、ばっちゃん!」
「………本当に今日のアンタは目付きが悪いねぇ。朝議の間中、こっちの方をやたらに睨んで」
「な、別にそれは……………」
「そんなに気になるかい?あの子がいなかったのが」
そこでエドワードは息を飲む。
彼が王座を、いや正確には姫君の椅子を見ていたのはそれほど長い時間では無かったはずだ。
それなのにこの女王はそのことに気が付いたというのか?
「べ別に、そんなわけじゃ……」
「心配しなくても大丈夫さね。ちょいと調子が悪いだけみたいだからね。明日はちゃんと出てくるさ」
「………そーかよ」
興味が無さそうに、わざとぶっきらぼうにエドワードは答えた。
内心ほっとしたのだが、それを表情に出さないように。
もちろん目の前のピナコにはそんな彼の本心などすっかり分かられているが。
「そうさね。安心しただろ?」
「だ、だから別にッ!………つーかそ、そんなことより。オレに何か話したいことがあったんじゃねぇのか?」
分かりやすいにも程がある話の逸らし方だが、ピナコがエドワードの挙げ足を取ることはしなかった。
あぁそうだったねと煙管を傍の煙管箱に置き、彼を正面に見据える。
「あの子に見合い話が来てるのは、知ってるね?」
「………あぁ。それがどうしたんだよ?」
「その見合い、どうやら実現することになりそうさ」
「………あいつが、やるって言ったのか?」
「あぁ。昨日の夜、急にね。それまで嫌だ嫌だと喚いていたのが急にさ」
何があったのか知らないけどねと続けるピナコの言葉に、エドワードは先程とは違う意味で息を飲む。
自然と握り締めた手はじっとりと汗ばみ、力を込めすぎているために白く変色している。
頭の中では、ただぐるぐると同じことが回り続ける。
それは、今はこの場にいない姫君のこと。
姫君が、彼女がそれまでの考えを突然昨日の夜に変えたのは、それは昨日の自分との会話が関係しているのではないかという憶測。
いや、憶測ではなくそれは明らかな事実だということ。
知らず、彼は胸中で舌打ちをする。
何故、いつものように自分の意見を無視しないのかと。
何故、よりによってこんな事を素直に受け取るんだと。
そこまで考えて。矛盾していることに気付く。
彼女が見合いをして、どこかそれなりの身分の男と結婚すること。
それはエドワード自身が望んだことではなかったか。
いや、そうなることは頭では納得して、覚悟していたはずだ。
それなのに、そうであるのにまだ本心ではそれを受け入れていない。納得などしていない。
「……なんで、オレに教えるんだよ。見合いのこと、まだ正式に発表していねぇじゃんか」
何故、よりによって。本当の意味で覚悟をしろというのだろうか。
「………あんたに一番に教えるのは当たり前だろう。すぐにアルにも教えるさ。あんた達は、身内みたいなもんだからね」
身内みたいなもの。
それは、本当の意味では身内ではないのだ。
あくまでも“みたいなもの”で。
いつまで自分はその甘すぎる幻想に酔っているつもりだったのだろう。
彼女は、自分とは違うのに。
エドワードは握り続けていた手を解いた。
止まっていた血が流れだして、次第に彼の掌は赤みが増していく。
「………そっか」
「そうさ。あぁエド、身内としてお前に聞くよ。お前はこの見合いどう思う?」
「………ばっちゃんはどうなんだよ?」
反則だとは思ったが、エドワードは質問に質問で返した。
問われた方は、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにそれを正して答える。
「……あたしは、あの子が決めたことに口を出すつもりはないさ。
見合いをするとウィンリィが決めたのならそうするといい。お前は、どうだい?」
「……ばっちゃんがそう思ってんだったらオレが口出す理由はねーよ」
そこでエドワードは笑った。
そんな気分ではまったくなかったが、自然と笑顔を浮かべていた。
そうすることが正しいように思えたからだ。自嘲、であったかもしれない。
「うん。大丈夫、うまくいくさ。相手、いい噂しか聞かねぇし、それに……身分卑しからずってヤツだし、さ」
「………そうだね。でも」
「何だよ?」
「あたしはね。あの子には本当に、心から幸せになってもらいたいんだよ」
「十分幸せになれるだろ。考えられるかぎり最高の結婚相手じゃん」
「そういう意味じゃないさ。一国を治める王としては間違ってるかもしれんが、あたしはね。
あの子には………ウィンリィにはね。本当に惚れたヤツと一緒になって欲しいんだよ。
二親を早くに亡くしてる分、余計に、ね」
穏やかに発せられたその言葉に、エドワードは思わず眉をひそめる。
いつも、なによりも国と民のことを第一に考えるこの女王にしてはおかしかったからだ。
たった一人の孫娘のことをもちろん大切に思っているのは知っているが、それでも妙な、言葉。
「……どうしたんだよ。らしくねぇぞ」
「女帝だの女豹だのなんだの言われても、所詮あたしもただの孫可愛いばあさんにすぎないってことさ」
まあ、あの子が誰に惚れてるかなんてあたしには分かりゃしないけど、と続けた後、女王は高らかに笑う。
置かれたままの煙管から立ち上る煙は、謁見の間の高い天井に届くことなく消えてゆき、ただそこに淡い匂いだけを残した。
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