|
邂逅
姫君の見合いの噂が城内に広がり始めてから、今日で四日目。
今やそれは、どうやら見合いは実現しそうだという所まで進展していた。
女王からの公式な発表は未だ為されていないが近日中には、とさえ噂好きのメイド達の間では囁かれている程だ。
しかし表面上。上辺から見た限りでは、いつものように平和なリゼンブールの時は過ぎていった。
呆れるほど普通に、まるで、本当に何事もないように。
今、エドワードは黙々と城の廊下を歩いていた。
別にこれといって目的地があるわけでもなかったが、彼は歩いていた。
それは普段は忙しい職務中、何故か突然ぽっかりと開いてしまった時間―――ごく稀にこんなことがあるのだが。
それを潰すための行為であって、もちろん深い意味はない。
だが、黙って座っているよりは気が紛れるだろうと思ったためである。
それに体を動かしていないと、気を抜いてしまうと、色々とした感情や思考が頭を支配してしまう。
そうでなくともここ数日は特にひどかったのだ。
ほんの些細なことでいちいち彼女を思い出してしまう程に。
例えば足を進める度に鎧に当たってかちりかちりと音をたてる自身の剣。
―――騎士団長の証として女王陛下から賜ったものを見て。
それを初めて見た彼女が自分のことのようにすごいすごいと喜んだ時の高揚した笑顔を思い出した。
例えば朝、いつのまにか伸びてしまった自身の髪を結い上げる時。
いつだったかは忘れたが、彼女がその髪を綺麗だと言ったことを思い出した。
手入れもろくにしていないくせにずるいとむくれ顔をしていたことも。
かつん、と足音を上げてエドワードは立ち止まる。
そして口をぎゅっと引き結ぶ。
結局のところ、何をしようとも彼女のことを考えてしまうことに彼はとっくに気付いていた。
昔のことをいちいち思い出すことも。
そうやって思い出したという事実自体をもまた思い出してしまうことも。
もちろん、今だってそうであることにも。
考えるな思い出すなと意識するほどに、余計に溢れだす思い出と、それに付随する感情。
エドワードは気付いていた。だから歩き続けていたのだ。
何も考えまいと歩き続けたのだ。
きっ、と前方を睨み上げ、エドワードは再び歩き始める。
だが足を動かすその度にかちりと剣は鳴り、束ねた髪がふわりと揺れて金の軌跡を描きだす。
その事実に彼は思わず顔をしかめた。
だから幾分か速く、意識的に歩く速度を上げる。
まるでまとわりついてくる懐古と思巡の影を追い払うかのように。
しかしどうやっても思考を完璧に制御することはできないのだ。
剣が鎧に当たる音や、ふわりと揺れる束ねた金色が呼び起こす過去はいつだって全てが繋がっていく。
全てが、ごく最近。親しい者達から自身へと投げ掛けられた言葉へと。
それは数日前の弟と、女王の言葉であった。
エドワードを揺さ振るようにそれでいいのかと問い掛けてきたアルフォンス。
そして、彼の真摯すぎる眼差しと迫るような声。
それを思い出す度に、必死すぎる程彼に対して言えなかった答えを、いや反論を繰り返す。
だってオレは。だってあいつは。
どうせあいつはオレのことなんか。あいつはオレとは違うんだから。
もちろんそれにアルフォンスが答えることはない。
呼びかけはエドワードの心中で密かに行われているからだ。
だから、誰にもそれが届かない。
ピナコの言葉は、アルフォンスのそれとは違って穏やかなものであった。
孫娘には、本当に好きな者と結ばれてほしいと告げられた。
聞いた時は最初、妙だと思った。国を一番に考える女王とは思えない発言であったからだ。
だが、後から考える度に不信感が増えていく。
もし、もし本当に女王がそう考えているのなら。
姫の意志など無視して見合いを無理矢理やめさせるに違いない。
あの姫が一度も会ったことのない男に肖像画だけで惚れるとは考えにくいからだ。
だが、女王はそうはしなかった。
それがエドワードには不思議だったのだ。
しかし最も彼が疑問を覚えたのはそれではなく、女王が最後に語った言葉である。
“まああたしはあの子が誰に惚れてるかなんてわかりゃしないけど”
そう確かにピナコは言ったのだ、笑いながら。
それではまるで、姫君には惚れた男がいるみたいではないか。
しかも女王の様子からするに、彼女は姫君の想い人に目星でもついているようで。
あの姫に、好きな男がいるかもしれない。
突如として突き付けられたその可能性ははっきりいって、衝撃だった。
いや、衝撃いうよりはもはや不快ですらあった。
だが、どこかでそれを打算的に考えているエドワードが、いる。
もし本当に彼女にそのような特定の相手がいるのなら、この見合いをとりやめることができるかもしれない、と。
女王の言葉を、本当に幸せになってもらいたいという言葉を姫君に伝えることができたら。
彼女はきっと、いや絶対に見合いをやめるだろう。
その後で、本当に好きな男と結ばれても一時的には……そう、一時的には。
彼女が他人の物になることを回避することができる。遅らせることができる。
………自分の、感情を整理するための時間ができるのだ。
それなら本当の意味で、覚悟を決められるかもしれない。
だけどそれは理想論であり、現実ではどうかわからない。
(本当にこの感情を押さえ付けることなんてできるのか?)
こんなにも、頭の中を巡るのは彼女のことばかりなのに。
エドワードは舌打ちをする。
“姫君の惚れた男”という単語を浮かべただけで腹の辺りがムカムカする。頭がぐるぐるする。
覚悟しようと決めたくせに、それでも自分は嫉妬をしているのだ。
姿も知らない、いや本当にいるかどうかもわからない彼女の想い人に。
それは大いなる矛盾だ、と自覚しているにも関わらず。
いったいどれほど歩いたのだろうか。
彼はいつのまにか城の中でも人の気配がしない区域まで来ていた。
行き先も何も考えようとせず、気の向くままに歩いた所為であったがこんな所にまで来たのは久方ぶりであった。
まだ幼い頃、弟と姫君と三人。
探険と称して城内の隅々まで駆け回っていた時以来であるからもう10年ぶりくらい、といったところだろうか。
懐かしさに任せ、ついエドワードは足を止めて辺りを見渡した。
だがすぐに、こんな所にまで来てしまった自分自身を嘲笑する。
まるで思い出を辿っているようではないか、と。縋っているようではないか、と。
しかし彼の自嘲は、そう長くは続かなかった。
ふわりと漂ってくる、微かな香。
とても優しくて、そして爽やかな。甘いが、決して不快には成り得ない微かな春の匂い。
どこからか流れてくる花の香を不思議に思い、エドワードはぐるりと辺りを見渡す。
すると、小さな木の扉を発見することができた。
よくよく注意しなければわからないそれは、長い年月によって自然と劣化していったのだろう。
所々に、風穴や隙間を見ることができる。
どうやら外へと繋がっているようで、淡い早春特有の光が零れだしていた。
おそらくここから、香が漂って来るのだろう。
純粋な好奇心の旗の下で、エドワードはそっと近づいて、扉に手をかける。
鍵は掛かっていない。
あぁそういえば、とエドワードは思いを巡らす。
昔、これとよく似た扉を見つけたことがある。
その時はそりゃあ興奮して、ドキドキしたものだ。
三人の秘密だ、なんて言ったりして。
特に彼女が一番騒いで、喜んでいた。
すごいすごいすごい!とか言って目を輝かせて。
エドワードは笑った。今度は自嘲ではなく、苦笑気味に自然と漏れたものである。
そして、ゆっくりと扉を押していく。
音を立てることもなく古めかしいそれは開いていった。
途端に溢れだす光の眩しさに、エドワードは顔を歪める。
あぁ、そういえばあの時。扉の向こう側にあったのは確か――――――
扉の先に広がった光景。
それはひどく優しいものであった。
城壁と城壁の間の、ひどく小さくて中庭というにはおこがましい空間。
そこに一面、早咲きの黄色い花が咲き乱れていた。
どれもがきらきらと日の光を浴びて輝き、見る者に生命の美しさを訴えかける。
そしてその中心に、彼女はいた。
長い薄金色の髪が、纏った白いドレスが風に泳がされることも厭わずに。
ただずっと遠くを見ていた少女。
一面の黄色と、白いドレスがその空間の色彩を支配している。
そのコントラストはある意味ぞっとするほど鮮烈で、そしてどこか暴力的でさえあった。
少なくとも、エドワードは何か重いもので頭を殴られたような錯覚を覚えたのだ。
何なのだろう、このいっそ完璧に計算された絵画のような美しさは。
見ていてはいけない気が、する。
この場から急いで逃げたしたいとさえ、考える。
だが、立ち尽くし固まったままの足は動かない。
見開いたままの金色の瞳は、この芸術から目を背けることを許してはくれない。
不意に一際強い風が絵画の中を吹き抜け、花々を散らした。
芸術の世界は儚くもあっけなく崩れていく。
その中心だった少女もまた時を取り戻したかのように、それまで遠くを捉えていた蒼い視線を巡らし始めた。
そして、扉の傍に立ったままの鑑賞者の存在を認識する。
少女は微かに驚きの表情を見せるが、桜色の唇はその後でエド、とかの鑑賞者の名を愛称で音にした。
BACK NEXT
|