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来訪
部屋の中に響く、扉を叩く乾いた音でエドワードははっと我に返った。
そして横たえていた体を起こすと思わず、自らの思考を乱したその音がした方を一瞬睨み付ける。
だが同時に、彼は扉の向こうにいるであろう人物を不審に感じた。
まだ夜は深くはないといえ、早いともいえない。
そんな曖昧なこの時間に王国騎士団長の私室を訊ねる人間などめったにいないためである。
来訪者が、何かしらの事件をエドワードに知らせるための使者という可能性も無いわけではない。
だが急件であるならばこのように悠長に扉を叩くことはしない。
部下である兵士が猛々しい大声で用件を告げるはずだ。
………………怪しい。誰が、いったい何の目的を持ってこの部屋を訊ねるというのだろうか。
二、三度扉を叩く音が部屋に響いたその刹那とも言える時間。
その僅かな時間に回転の速い頭でそこまで考えたエドワードだが、その答えが出るはずもない思順にもちろん意味は無い。
何をそこまで警戒する必要があるのかと彼は直ぐに思い直し、扉から視線を逸らして立ち上がる。
そして、この急な来訪に答えるために外扉へと足を向けた。
ようやくエドワードが扉を開いたその先。
そこに立っていたのはすらりとした長身の青年であった。
短く切り揃えた金色の髪は、同じ金とはいえエドワードのそれとはまた違う輝きで人に涼やかな魅力を感じさせる。
そしてその大きな瞳は髪と同じ金の輝きを持ち、彼の整った顔立ちをさらに際立たせていた。
この国の文官に支給される官衣を身に纏った青年。
その姿を認めると、エドワードはそれまでの微かな警戒を和らげ、息を吐いた。
にこやかに笑顔を称えるこの青年、いや少年はエドワードの実弟で、名をアルフォンスと言う。
落ち着いた雰囲気と物腰のために年の頃はエドワードよりも上に見えるが、実際は彼より一つ下の少年であった。
アルフォンスは、ため息を吐くという兄の対応を見ると苦笑するように告げた。
「遅かったね。もしかして、寝てた?」
「寝てねぇ!………こんな時間に何だよ」
「いや、兄さん食堂にいなかったからどうしたのかなぁと思って。調子悪くて寝ているのかと」
「別に、どうもしねぇ」
「ふぅん。そうなの?」
「そうだ。つーかそれより」
「何?」
「………何の用だ、お前」
兄である自分がいつもの時間に食堂にいない、ただそれだけの理由で一々部屋を訊ねることなどしないアルフォンスである。
聡い彼のことだ、この突然の訪問にも何か真意があるのだろうと、エドワードは弟を睨み上げる。
そんな兄の様子に、アルフォンスは一瞬目を見開いたが直ぐに真の目的を告げた。
「あ、うん。あのさ……ちょっと気になって。兄さんに聞きたいことがあるんだ」
そう言うと、アルフォンスはエドワードに向き直る。
奇妙なほどに真摯な瞳が、彼の視線とぶつかった。
弟のそんな様子と、その聞きたいということの内容を不審に感じないわけではないが、その要求をエドワードが断る理由はない。
時間は大丈夫かと問うアルフォンスに、あぁと短く答え彼は弟を自室へと招き入れた。
「で、何だよ。聞きたいことって」
アルフォンスに備え付けの椅子を勧め、自身は寝台に腰を下ろした後、エドワードは訊ねる。
問われた方はあぁ、と僅かに息を吐きながらまるで言葉を選ぶかのように視線を宙に泳がしている。
その歯切れの悪さに妙ないらつきを覚えたエドワードは、急かす言葉を思わず口にする。
「何だよ、さっさと」
「兄さん」
突然に自身の言葉を遮られたエドワードは、あからさまに非難の視線を弟へと送った。
しかし、その表情の深刻さ。敢えて言うならばその瞳のただ成らぬ輝き。
それに威圧され、エドワードは訝しげに眉を潜める。
「な、何だよ?」
「兄さんは知ってるの?その……姫様の、お見合いの、話」
アルフォンスが出せる最大限に低い声で、重々しく紡がれた問いに、エドワードは目を見開く。
そして、思わず微かな渋顔を浮かべる。
自身の感情を押さえ、隠すことに慣れた彼にしては、その反応は妙であった。
予想外というわけではないが、不意に問われた内容。
それに対してうまく対応しきれなかったためであろうか。
「その様子だと………知ってるみたいだね」
「……あぁ」
「ねぇ、兄さん。それって本当なのかなぁ?その、姫様がお見合いなんて、そんな」
「本当だ」
エドワードが唸るように告げた言葉に、今度はアルフォンスが驚きで目を見開く番であった。
そして、動揺が見て取れる瞳で兄を見やる。
「本当って。そんな、そんなだって!」
「本当だ。………本人から、聞いた」
「き、聞いたって。いつ!?」
そこでエドワードは、簡潔に今日の昼間の出来事を説明し始める。
職務時間中に突然姫に呼び出されたこと、そして、姫からの質問。
最小限の言葉で紡がれる内容に、アルフォンスは相槌を打つこともなくただ黙って耳を傾けた。
「………それで?」
アルフォンスが口を開いたのは、粗方の説明が済んだ後。
エドワードが、口を閉じてからしばらくの後であった。
だが、エドワードには弟のその言葉の意味がわからない。
いったい何が“それで?”という問いの対象なのか、彼にはまったく判断のつかないものであった。
思わず訝しげに眉をひそめて、自身が感じている疑問を目の前に座る弟に訴え、そして逆に問いを返す。
「何がそれで、なんだよ」
「それで兄さんは、なんて言ったのかって聞いたの」
「なんてって……さっき言っただろ。見合いは陛下とお前が決めることだろって答えたさ」
「……それだけ?」
「あとは……一臣下として、オレは賛成だって」
それを聞くとアルフォンスは、くしゃりと整った顔を歪めて、何を言うのかと言わんばかりに渋い視線をエドワードに送った。
いや、実際に彼はそれを口にした。
何を言っているんだよ兄さんは、と心からの非難をこめて投げ掛けられた言葉に、エドワードは困惑をする。
何故、アルフォンスは怒っているのだろうかと疑問すら感じる。
「な、何だよ。オレ別に変なことは言ってないだろ!?」
「そりゃそうだけど……………でも」
そこでアルフォンスは渋い顔をやめ、兄を非難ではない、なんともつかない視線で見やる。
弟の突然の表情の変化に、エドワードはたじろいでしまう。
だが、そんな彼の様子を気に掛けることもなくアルフォンスは自らの言葉を続けた。
「でも、兄さんはそれでいいの?」
そこでエドワードは、はっとアルフォンスを見やる。
だが、肝心の弟の表情を見ることはできない。
真っすぐとこちらを見つめる弟の瞳には、驚愕としか言いようのない表情を浮かべた自身の顔が映りこんでいた。
そう、彼は驚いていた。
もちろん弟が何を言っているのかが分からなかったわけではない。
何を聞いているかが分からなかったわけでもない。
いや、全てを理解しているからこそ彼は驚いていた。
弟が、エドワードの感情を全て理解しているはずの弟から、それを言われたという事実。
そのことに彼は驚愕し、恐れたのである。
“それでいいのか”
何故、お前が言うのか。
お前は全てを知っているくせに。
オレの取るに足らない感情も、それ故の行いも、なにもかも。
それなのに。
何故、敢えてオレの心を乱そうとする。
何故、覚悟を揺さ振ろうとする。
(こんな感情、押さえ込んでしまおうとしているのに)
「……何が、言いたい」
そう、エドワードの声は低く響いた。
それは威圧感を持ち、問いであるはずなのに答えを求めない、いや答えを認めない矛盾した言葉。
それにアルフォンスが答えることはなかった。
何も答えずにただ真っすぐとエドワードを睨む。
おそらくはその視線こそが彼の答えなのだろう。
ただひたすらに真摯な視線、それこそが。
いつまでも続くと思われた視線だけの、攻防。
それを打ち切ったのは意外にもアルフォンスの方であった。
すっと立ち上がると、そろそろ消灯時間であるからと告げ、扉へと足を向けた。
エドワードは、特に見送りもしようとせずそれを視線のみで追う。
と、突然にアルフォンスは動きを止め、顔だけを兄に向け口を開いた。
「兄さん」
「……なんだよ」
「あのね。兄さんは、なんで姫様がそんなことを敢えて兄さんに聞いたのか。それを、考えなきゃいけないと思う」
「………どういう意味だよ、それ」
「姫様の気持ちも少しは考えなよってこと」
その言葉の意味が、エドワードにはよくわからない。
いったい、この弟は何を言っているのだろうか。
いったい、何を考えているのだろう。
それを訊ねるために、問いを重ねようとエドワードが口を開くその瞬間、アルフォンスは扉を開いた。
そして、お休みと今度は振り向きもせずに告げ、部屋を出ていった。
一人部屋に残されたエドワードは、ベッドに再び身を投げ出す。
そして、瞳を閉じる。
頭に浮かんでは消える弟の言葉と、姫君の姿。
そのいつ終わるか知れない出口のない迷宮のような思考を続けながら、知らず知らずのうちに彼の意識は途切れていった。
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