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いつかは、こんな時が訪れることなど理解していた。
回想
姫君からの呼び出しの後、職務に戻ったエドワードはただ一心に自らに貸せられた仕事を片付けていった。
部下への指導や、おあつらえ向きに開かれた定例会議。
それは彼の頭から先程の出来事を追いやる手助けをしてくれ、また事実。
職務時間の間彼がそのことに思いを巡らすことは、無かった。
いや、本当は。
彼自身がそれを自らの意志で考えないようにしていただけなのかもしれない。
そして仕事の後。彼は食堂で簡単に食事を摂ると、脇目も振らずに自室に戻った。
それは、いつもなら部下と供に、それなりに長く食事を楽しむエドワードにしてみればまったく異例のことである。
もちろん、足早に去ろうとする彼を引き止める者は多かった。
それでも、彼はその誘いに応じなかったのである。
何故か。
それは彼自身が嫌になるくらい理解していた。
食堂は、姫君の見合いのに関する噂であふれていた。
どんな人物が姫様のお相手なのか。
姫様のお心はどうか。
はたまた陛下の御意向は?
そういった質問や、それに対する憶測めいた回答が飛びかう空間。
そこに長い時間浸ることを、エドワード自身が認めたくなかった。
いや。
単にそれらを聞きたくなかっただけだと、暗い廊下を自室へと向かう彼に、彼の感情はずっと訴えていた。
王城の一室。
窓から見えるのはぼんやりと闇に浮かんだ三日月と、灰色の雲。
そして聞こえてくる音は、風が庭の木々を稀に揺らす微かなものだけである。
夜中、と呼ぶにはまだ早いこの時間。
エドワードは自らに充てられた部屋の寝台にだらりと体を投げ出していた。
古ランプによって薄暗く照らされた部屋の天井を、彼は先程からぼんやりと見ていた。
もちろんその行為に何か明確な意味があるわけでもなく、ただ他に視線をやるものが無かった。
それだけのことである。
そして時折思い出したようにため息をつくと、彼は直ぐに頭の中の世界に集中をする。
頭の中に広がる世界。
それは彼にとってひどく懐かしいものだけであった。
まだ彼も、彼の弟も。
そして彼女も幼かった、子供の頃の光景。
例えば、三人でケーキを取り合ったこと。
例えば、三人で騎士とお姫様ごっこをしたこと。
例えば……。
思い出すのは、そんな風に本当に楽しかったことだけだった。
ふう、と一つため息をまた彼は吐く。
こんな、一種の現実逃避をして何になるのだろうかと。
両親がいないからと、女王によって城に引き取られたエドワードとその弟が一番最初に口を交わした同世代の人物。
それがこの国の姫君、つまりウィンリィその人だった。
三人は互いに両親がいないことや、城に他に子供がいなかったこと。
それで知らず知らずのうちに遊ぶようになり、またどんどん打ち解けていった。
その中で、姫君の周りに貴族でもない兄弟がいるそのことに、侍女や臣が渋い顔をすることもあった。
だが、女王自身がそれを咎めることをまったくしなかったため兄弟が姫と引き離されるということは無かった。
だから、本当にいつでも三人一緒だった。
くだらないことで笑って、喧嘩して、怒って、泣いて。
そして思っていることを、直ぐに言葉にできていた。
そんな関係が崩れてしまったとはっきり断定できるのは、エドワードが12才になると同時のこと。
姫には何の相談も無しに、彼が王国騎士団に正式に入団してからだった。
その事実を知った時の彼女の表情を、彼ははっきりと思い出すことができる。
だがそれ以上に、一臣下として頭を垂れた時の彼女の、驚愕と戸惑い。
そして悲哀が交じったその顔を、彼は一生涯忘れない。
そんな突然の入団。
だが、それはエドワードにとって、また彼の弟や女王にとっては真実突然ではなかった。
入団の規定年令である12才になったらすぐに騎士団に入ると彼自身が宣言していたためである。
何故姫君にだけはそのことを伝えなかったのか。
その問いに対してうまく答えを出すことは、エドワードは今になっても出来ない。
あえて言うならば、余計な心配を彼女には掛けたくない。
ただ、それだけであったかもしれない。
騎士団に入団すること。
その理由は、表向きには一つだった。
それは自分達兄弟を拾い、養ってくれた女王陛下に対する恩。
それに報いるために、その身をお守りするということである。
そこに一片の偽りは無い。
真実、女王陛下や国のためになら命を差し出す覚悟もある。
だがしかし、本当はもう一つだけ、理由があった。
それは。
今は王女として、そして後には王位継承者として国を治めるであろう幼馴染みの少女。
彼女を臣下として支え、守るためということ。
それが、それこそが入団を決めた実質の理由であった。
もちろんこのことを知っている人間は、エドワードを除いては彼の実の弟以外にはいない。
守るべき対象である姫君にさえ伝えたことは無かった。
そしてその予定は、これからも無い。
実際に入団してからの彼は、必死だった。
少しでも早く、また少しでも強くなるために必死だった。
だからであろうか。
ひたすらの努力と、生まれ持った天武の才。
そして最強と称されていた当時の女騎士団長からの指南。
そのおかげでたった四年で彼は他国にまで評判の届く騎士へと成長を遂げた。
そして、病に倒れた前騎士団長に変わって騎士団長の命を受ける程になったのである。
エドワードは、そんな回想のうちにいつのまにか閉じていた目蓋を、ゆっくりと開いた。
先程まではっきりと見えていた天井。
だが突然明かりを取り戻したために歪む彼の視界に、うまくその像が映ることはなかった。
歪む視界。
しかし、彼は敢えて明かりを避けるために右腕を自らの顔に乗せた。
そして、さらに自らの思考を続ける。
臣下として、騎士として、幼馴染みの少女に仕えること。
そのことにためらいは無かった。
例え昔のような関係には戻れないと知っていても、自分はそれを選択した。
そのことこそが、ただ一つの望みだった。
一生涯、このまま身を捧げるつもりだった。
だからいつかは。
いつかは、こんな時が訪れることなど理解していた。
女王陛下に拾われてから、十数年。
騎士団に入ってからは、五年。
いつのまにかそういう年代に自分も、そして彼女もなっていた。
婚姻が前提としての、見合い話。
もし、それを行ったら彼女はまず間違いなくその見合い相手とやらと結ばれるのだろう。
それは当たり前のことだ。
王位継承者の第一の使命は子孫を成すことなのだから。
そう、わかっていた。いつかは、こんな日がくることを。
覚悟だって、していた。
いつかは、彼女が誰か他人のものになることを。
だから、見合いを勧めた。
そして肯定もした。
反対や否定なんて、しなかった。
いや、出来やしなかった。
ただの一臣下にそんな権利があるはずもないから。
もう、違うこと。
住む世界が違うことは、悔しいくらいにわかっている。
だからこんな感情なんて誰が伝えることが出来ようか。
こんな、恐れ多い感情を。
想ってはいけない。
想ってはいけないと考えるほどに厄介な程に溢れてくる感情。
それを自覚した時を、もはや思い出すことは出来ない。
自然に、いつのまにか自分と共にあった感情。
そして。
考えまいとするほどに、頭の中に彼女の姿が過る。
それは出会ったばかりの幼いものから、今日見た王女のそれへと変わっていった。
そういえば。
“どう思うのか”と彼女は聞いてきた。
見合いに対して、自分はどう思うのかと。
あの時、本当の感情を、自分の気持ちを伝えていたら彼女はどうしただろう。
もちろんそんなこと、出来るはずもないが。
だけど、もしかして。
そう、もしかしたら。
もしかしたら―――――――…………
その時。
部屋の窓に面した庭に、一際強い風が吹き抜けた。
木々はガサリと激しく音をたて、窓にはまった薄いガラスに当たる。
エドワードはその音で不意に、我に返った。
何を考えているのだ、自分は。
もしかしたらなんて、あるはずもない。
いや、あってはいけないのに。
「………くそ」
唸るように呟いたエドワードの声。
それは来客を告げるノックの音によってかき消され、部屋に響くことは無かった。
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