昔から、何か夢中になると他が見えなくなる癖があった。
昔とは今の息子達と同じくらいの頃の話だから、数百年前からと言ったところか。
我ながらハンパない。そして同様に、周りがおろそかになるからこそ起きてしまう弊害、単純なミスに気がつくのが遅いというのもまた癖だった。
読書に夢中になって汽車を乗り過ごしたり、考え事をしていてドブにはまったり。
例を挙げればキリがない。
結果的に困るのはいつも自分なのだが、だからといってその癖が直る事は長い人生の中ついぞなかった。きっとこれからもそのままだろう。
諦め、ではなく忘却。
いつも失敗してから思い出すのだ。ああまた俺はと。
そんなことを何度となく繰り返してまた忘れる。

いつも後悔したところで後の祭りで、頭をかいてため息をつくことしか俺には出来ないのだ。 どうしようもない。


それは、今回も同じだった。








臨戦態勢とはこれいかに











「……まいったな」



呟いて、ため息を吐く。
目の前の棚をみても、空になった専用の箱をひっくり返してみても肝心のモノが見つからなかった。 あれが無ければここから動くことも出ることも、そもそも立ち上がることすら不可能だ。 まいったまいったと腕を組む。
入った時に、いやズボンとパンツをずり下ろす前、いやいやせめて下半身モロ出しの状態で力む前に気がつくべきだった。
そのものズバリをする前にあれの有無は確認すべきだったのだ。
うっかり考え事に夢中だった。例の癖だ。
今回の敗因は昨日読んだ本だったが、今はまあそれはどうでもいい話だ。
考えるべきは、あれが無いというこの状況の解決策である。
さてどうしたものか。下半身丸出しのまま考える。
動けないが考えることはできるのだ。上半身は動く。だから当然、口も動く。
ああだったら誰かを呼ぶのはどうだろうか。
ここは一階の外れで、二階の息子達の部屋からは遠いが大きな声をあげたらあるいはいけるかもしれない。



「おーい」



返事はない。小さな部屋に虚しく声が響いた。



「エドワードー。アルフォンスー。聞こえるかー」



やはり返事は無かった。声が小さいのだろうか。



「なぁー聞こえなかったら聞こえないっていえよー」



さっきよりも大きいがやはり虚しい声が響いて、またすぐに静寂が広がった。
本当に聞こえてないのかあるいは二人ともいないのか。
どちらにしろ息子達はあてにならないようだった。やれやれと本格的に頭を抱える。
こうなったら錬金術を使って辺りのものをあれに、と考えたその時だった。
足元で何かがチラリと動く気配を感じたのは。
何だろうと目をやると、黒くてつやつやしたものが見える。
触覚と足を威勢良く元気に動かしながら床を全力で移動中だった。ゴキブリだ。
しかも親指大の大物。かなりレアなサイズだろう。



「あ」



声をもらした瞬間、それまですっきり壮快だった下半身に力がこもったのがわかった。
別に息子達のように(特にアルフォンスは発見しようものなら血相変えて騒ぎ出す)ゴキブリが嫌、というわけではない。
が、この狭い部屋でレアなサイズのヤツと二人きりというのは。
正確には一人と一匹きり、というのは正直頂けない。
大袈裟なようだが、発見した瞬間、体が戦時体制に突入したのである。
ゴキブリを発見してしまったという緊張感はかなりハイレベルな異常事態だ。
しかも今の俺は、当然ながら下半身丸出しにしている。
こんな状態でゴキブリと二人っきりというのは、普段体を全部衣服で覆ってる状態に比べてアドレナリンの分泌が凄まじい。
三割強くらいだきっと。飛んだらどうしよう。
もし襲いかかってきたらどうしよう。
それでいて、このむき出しになったままの下半身に飛びついてきたら。
などといろいろ想像してしまう。
それはいただけない。とてもいただけない。
確かに苦手ではないが、決して得意でもないのだ。
思わずヤツの動きをまじまじと見てしまう。
だが虫でしかないヤツはそんな俺の三割強多く分泌されているだろうアドレナリンになんかお構いなしだった。
カサカサといかにもな足音を立てながら壁際まで移動し、またそこで触覚を動かしている。
生理的に背筋がぞくりとする光景だ。


「……な、何か叩くもの」



きょろきょろと首だけで武器を探す。
だがこの小さな部屋、それも手の届くところにあるのは掃除用の洗剤くらいのものだ。
新聞は居間の机の上だし、雑誌はソファーの上だった。



「……どうしよう……」



下半身丸出しのまま呆然となっていたその時、俺は自分の足元へ目をやった。
いつもの靴を履いている。もう本当に何年も、それこそハンパないくらい長く履いている愛用の靴だった。 靴裏はしっかりとしたゴム、のはずである。
これなら物理的にはいけるかもしれない。
しかし衛生面や精神面ではどうだろう。いつも履いてるこれで本当にやるのか。
やった後これをまた履くのか。そう考えるとなかなか踏ん切りがつかない。
うーんと腕を組んだ体勢のまま視線を上にする。
だがそれはそんなに長くは続かなかった。
また何かいやな気配を感じて、恐る恐る視線をそちらにやると、すぐ近くの壁、その気になったらすぐにもこちらの下半身に飛び付けそうな近くにヤツがいた。
そうしてわずかに目が合う(ように感じた)。
瞬間、自分の中の何かが切れる。



そうして気がついたら俺は、下半身丸出しのまま身をかがめ、下半身丸出しのまま愛用の靴右足用を手にとり、下半身丸出しのままこれを振りかぶって、下半身丸出しのかままヤツに向けてていやっと振り下ろしていた。
とにかく全ての行為が下半身丸出しのままだった。
我に返ったのは叩き潰した後で、恐る恐る靴をどけてみる。
すると幸いにもヤツは壁に張り付くこともなくぼたりと床に落ちた。



「うぉっ」



かなり距離はあったがほとんど反射的に体を避けた。
床に転がった親指大のレアサイズのゴキブリは動く気配がない。俺の勝利だった。
思わず大きく息を吐いて、臨戦態勢を解除する。あまりに壮絶な戦いだった。
アドレナリンの分泌量もじきに元に戻るだろう。やれやれと靴を床に投げ置いた。
そして、それを履こうとしてそのまま動きを止める。
これをこのまま履くのか、俺は。
緊急時によりすっかり投げ捨てた問題がまた浮上した。
本格的にどうするのかと考え始めたその時だ。
ダンダンダンダンと乱暴に扉が叩かれた。



「どうした」

「どうした、じゃねぇよ」

「何だ、お前か」

「オレで悪かったな。早くしろ。さっきっからずっとじゃねぇか」

「えー。今ちょっと大変なのに」

「えー、じゃねぇ。こっちだって大変だっつの!」

「………靴が」

「あ?」

「いや靴。壮絶な戦いだったんだ」

「はぁああ?」

「だからちょっとアレなんだぞ、靴。大問題だ」

「大問題ぃ?」

「あぁ、大問題だ」

「………ああもうっ。意味わかんねぇよ!
 もういい、いいから出ろ。早く出ろ。今すぐ出ろ!」



こちら気がつく前から待っていたらしい。
どんだけ長いんだよてめぇは!とドンドンドンドン激しく扉を叩いてきた。
まったくせっかちな奴だ。誰に似たんだろう。不服ながら、右足の靴を履き直す。
やっぱり少し気持ち悪い。後でちゃんと洗っておかなくては。
そしてどっこいしょと立ち上がろうとする。



「あ」



そのまま俺はピタリと動きを止めた。それからゆっくりとまた座り直す。
そうだった。ゴキブリに夢中ですっかり忘れていた。
何かに集中すると周りが見えなくなるのね、そうトリシャにいわれたことをふと思い出す。
そうだな、相変わらずこの通りだ。
本質的なところはあの頃からやはり何一つ変わっちゃいない。



「なあ」

「何だよ今度はっ」



返ってきた声はやはり切羽詰まっていた。



「いや、あのな。大事なこと忘れてた」

「どうでもいいから早くッ。何!」

「トイレットペーパー取ってくれ、エドワード」














全体的に下品&Gがキモい話ですみません。
未来のホーエンハイムは息子達とだらだら暮らしていて欲しいです。
管理人的にはひぐ●しの富竹さんくらい死亡フラグ立ってるんですが、生きてて欲しいなあパパ。
いやいや大丈夫だよね!だって富竹さんだって解決編では生きてたもんね!(笑)



ちなみにこの後、リミットブレイク寸前のエドワードはトイレットペーパーをなんとか無事パパンに届けました。
しかしいざ自分がトイレに入ってスッキリ☆しようとズボンを下ろして力んでふと床を見ると、パパンが退治したレアサイズにデカいあれの死体と目があって「ぎゃ!」と叫んだそうです(超他人事)(そして結局はエドいじめが楽しい管理人)(おい!)