決心






突然現われた若き騎士団長の姿と声に、その場の空気は明らかに騒めきたった。
しかし不思議と声を発する者はない。ただ、その場に居合わせた全員が、突然の襲来者に視線を送る。
しん、と謁見の間は金色に圧倒されたのか不気味にに静まり返った。
だがそれを彼が気に留めた様子はなく、王座の方へとただ足を進める。
まっすぐに王座のただ一点を睨んだその視線、表情から彼の感情を読み取ることはできない。 ただ、歩くたびにカシャリ、と彼の腰に下がる剣が音を立て、静けさを際立たせるだけであった。




あまりの出来事にしばし茫然となっていた女王付きの近衛兵達は、彼が王座へと続く赤絨毯の道の中程まで来た所でようやく我に返った。
そしてそれからすぐに女王と姫君の前へと躍り出る。
だが、肝心の女王は何故かそれを手で制す。
戸惑い、不審に感じながらも彼らがそれに従った時、騎士団長、つまりエドワードはもう王座のすぐそばまで辿り着いていた。
口を開けて呆けている貴族の青年をちらりと一瞥した後、彼は迷う事無く王座を登る。
それから、流れていた涙そのままに、驚愕と困惑を多分に顔に浮かべたウィンリィの手を取った。 それは騎士が、仕える姫君に対して行う恭しいものではとても無い。
むしろ手をがしりと掴んだ、と言うのが正しい表現であろう。
そして、混乱している彼女を無理矢理立たせるとくるり、きびすを返した。
そして振り返りもせずに黙々と来た道を戻っていく。手はしかと姫君のそれを掴んだままだ。
当然、彼女も半ば強制的に足を動かすことになる。
固まっていたウィンリィはようやくはっとして、疑問とも叱責とも取れる声色で幼なじみの少年の名を何度も呼んだ。
しかし、その幾度とない呼び掛けに答えはない。
ウィンリィは引っ張られているということで足元が覚束ない。
更に普段よりも豪奢なドレスを身につけた危うく、転びそうになった。
二、三度躓いた後、そのことに気が付いたのかエドワードは初めて彼女の方を見た。
突然、かち合った視線に思わず彼女はびくりと震える。




そして次の瞬間、ふわりと体が、浮いたことを知覚した。
抱き上げられている、と気付いたのはその後である。
あまりのことに絶句して、恐る恐る彼女は顔を上げて幼馴染みを見た。
しかし琥珀の瞳で前方を見据える彼の表情から、その感情を推し量ることは出来ない。
ただ恐怖すら覚えるほど、その目付きは鋭かった。それにウィンリィは息を飲む。そして混乱する。

いったい、なんなのだろうと。しかしその答えはでなかった。
結局、混乱が納まる前に、そのままの体勢で、彼女は謁見の間から連れ去られたからだ。





後に残された人々は、しばしの間唖然としていたが直にみな意識を取り戻す。
そして、つい先程目の前で繰り広げられたあり得ない出来事について会話を交わした。
その表情は混乱しているもの、あるいは戸惑っているもの、様々である。 中には、ともかくいなくなった二人を追い掛けなくてはと女王に進言する者もいたが、女王がそれに応じることはなかった。
ただ不適に笑っただけである。
騒然とした空気になるこの場で、あと一人。
騎士団長の弟だけがどこか困ったような、しかしほっとした表情で眼を伏せていた。















「ちょ……エド、下ろしてよ!」



古城リゼンブールの回廊に、少女特有の甲高い声が響く。
普段は姫として、しかるべき言葉を扱うウィンリィのそれは今、すっかりと影を潜めていた。
いつの間にか涙も乾いている。しかしその余裕の無い懇願が、聞き入れられることは無かった。
すれ違う人々の視線をさらい、尚且つその時間を止めながら、エドワードは進んでいく。
依然として、憮然とした表情のままだった。それを奇妙に、疑問に覚えながらもウィンリィは声を上げる。
彼が何を考えて、どうしてこんなことをしているのか、もはや彼女にはまったくわからなかったが、そうでもしていないと緊張と困惑で息が詰まりそうだったからだ。
何度かそうした返答の無い呼び掛けを繰り返した後。
諦め半分でまた同じ内容を口にした時、突然彼女の願いは叶えられた。
すとん、とあっけなく下ろされたのである。
ふわりとドレスの裾を広げて彼女は地に足をつく。
思わずウィンリィはぐるりと辺りを見回した。
どうやら、いつの間にか城の使われていない区画にまで連れてこられたらしい。
静かすぎる回廊に、人の気配はまったくといっていいほど、無かった。
しばしその光景を茫然と見ていたウィンリィであったが、やがて我に返ると弾かれるようにエドワードから離れ、大げさにきびすを返そうとした。
ともかく戻らなければ、そう考えた故の行動である。

しかし、その瞬間に彼女の腕はしかと掴まれる。



「な、に…?」

「どこ、行くんだよ」



低く響くその声に、ウィンリィはいっそ恐ろしさを覚えた。
しかし、どうにかその問いに対する答えを返そうと口を開く。



「どこって……戻らな、きゃ」

「どうして」

「………どうしてって、お見合いの途中だ、し」

「好きでもないヤツと、なのにか」

「………っそれは……ッ」



確かにそれは真実だ。
しかし、そのことをこの幼馴染みだけには指摘されたくはなかった。
余計に心がつきん、と痛む。
自然とウィンリィは掴まれた自身の腕から視線を外し、俯いた。
掴まれている腕が、妙に熱く感じる。だが、その熱は逆に彼女の頭を冷ましてゆく。


そうだ、もう決めたのだから。
今更、何を戸惑うことがあるのかと彼女は歯を食い縛った。



「それ、で、も。あたし………あたし、行かなきゃ」




(………だって、あなたはどうせあたしのことなど)












「………なよ」

「えっ?」



自らの覚悟の言葉。それに対する答えは燻るように宙に消えた。
聞こえなかったのと、声の調子が明らかに変化したことを不審に感じウィンリィは思わず気が抜けた声を出す。
そしてゆっくりと、視線を上げて腕の主を見た。


その先にあったのは金色の、いつもは強い強い光が宿る瞳。
しかし今は不安げにその輝きは揺れている。その表情は、驚くほどに痛々しく歪んでいる。



「……行くんじゃ、ねぇ」

「エ、ド?」

「行くな。見合いなんか………すんな」



ゆっくりと、言い聞かせるように告げられた言葉。ぎゅ、と掴まれた手に力が込められる。
ウィンリィは、最初その意味がわからなかった。いや、信じられなかった。
いったい、エドワードは何を言っているのだろうかという単純な驚きと疑問。




しかしそれから沸き上がった感情。それは決して歓喜などではなかった。
見合いをするな、なんて。
どうして、よりにもよって、と逆に行き場のない怒りが彼女を包み込んでいく。


勝手な八つ当りだなんてわかってはいるが。
これは彼が、自分のことを大事に思っていてくれてる故の行動だとわかってはいるが。
いや、だからこそ無性に腹立さを覚えた。

何故、今頃になって。そればかりが頭を巡る。









「……何よそれ」



気付いた時、ウィンリィは口を開いていた。



「なんで、今更、こんな……なんで、そんなこと、言うのよ」



空色の瞳がエドワードを貫く。声は静かなものであったが、明らかに怒気がこもっていた。
しかし赤く染まった頬、きゅっと引き結ばれた唇は今にも泣きだしそうなのを堪えているような、そんな表情に見える。
エドワードは突然問われたその言葉に、彼女の表情に一瞬たじろいだように目を見開いた。
しかし、どうにかそれを正して答えようとする。



「なんでって……それは」



しかし、彼の言葉は問うてきたウィンリィ自身によって阻まれた。
淡々とした声色で彼女は言う。


「家族として、臣下として心配だから?」

「……っ違う!オレはただ」

「違わないわよ!」



悲痛な、叫びが静寂が過ぎる回廊に響き渡った。
ついにウィンリィの瞳からぽろぽろと涙がこぼれ始める。
エドワードの腕を振りほどくと、潤んだ空色でまた彼女は彼を睨み上げた。
溜りに溜まって、張り詰めていた感情が爆発したかのように彼女の唇は言葉を紡いでいく。



「結局、あんたは、あたしのことなんて何とも思ってないのに……無い、くせに。
 それなのに、どうして、なん…っで今更こんなことするの……!」

「それは……ウィンリィ、とにかく話を」

「何をこれ以上話すの。また“好きな人と一緒になれ”って、でも言うの?
 ………そんなこと、無理、じゃない」

「おい、ウィ」

「あんたは……あたしが好きな人はっ!どうせ………っ」

「………だから、それはさっきから違うって」

「なによっ………どこが違うって」

「なんとも思ってないんだったら、こんなことするわけねぇだろ!!!」




今度はエドワードが声を張り上げる番であった。ともかく話を聞け、と唸る。
先程まで揺れていた金の瞳が、痛いくらいにウィンリィを見た。
それに圧倒された彼女は、息を飲んで口を閉じてしまう。
しかし恐怖を感じるのに、視線を外すことは出来なかった。




それを確認して、一つ息を吐くとオレは、とエドワードは静かに口を開く。







「……オレは、ずっとお前のためなら何だってしてやれると思ってた。
 ウィンリィが幸せになるのなら、自分の馬鹿な感情なんていくらでも押さえられる、って」



エドワードは目を伏せて、彼女から敢えてゆっくりと視線を外す。



「だから、見合いの話が出た時賛成した。………覚悟、しなきゃって思った。
 でも、ばっちゃんからお前に好きなヤツがいるって聞いて、イライラした。
 居もしねぇソイツにありえねぇくらい、嫉妬した。結局、覚悟なんて無理だったんだ」

「……ちょっ、と待っ……それって、まさか」



信じがたい告白を耳にして、ウィンリィは目を見開く。呟いた言葉は震えていた。
しかしエドワードは、関係無しに自嘲したような笑顔を見せて自らの言葉を重ねていく。



「……馬鹿な話だよな。
結局、オレ自分のことばっかでさ。お前のこと、全然わかってなかった。
だから、あんなこと言って、泣かせて、傷つけた。
その後も、散々、迷ってばっかで何にもできなかった」

「…………エ、ド」

「だけど、アルにお前が他の男に取られてもいいのかって言われて、気付いた。
 そんなの嫌だって。誰だろうと、許せねぇって」



エドワードはそこでやっと、信じられないといった面持ちでただこちらを見ていたウィンリィと目を合わせた。 そして、告げる。
瞳には、またしても強い光が宿っていた。





「だから、臣下とか家族とか、そういうの抜きで頼む。
 見合いなんか、するな。………結婚なんか、しないでくれ」








頼むから、と心からの懇願に、ウィンリィの時はしばし止まった。
エドワードが言ったことが、夢を見ているように感じたからだ。
都合のいい、甘い夢を。しかし流れた涙で濡れた頬の冷たさも、いつのまにか握り締めた自身の手が痛いのも。
そのすべてが嘘のようで、だが確かに現実だった。
しかし、その勝手過ぎる言い分にウィンリィは反論をしないわけにはいかない。
今度は悲しみからでも、怒りから流れているわけでもない涙を必死に手で拭いながら、彼女は抗議する。



「……何それ。アンタは、な、んで。そういつも、いつも勝手なのよ。突然、なのよ……」

「……ごめん」

「…一人で何でも決めこんで、臣下とか身分とかそんなことばっかで……っ」

「……本当に、悪かったと思ってる」

「まったくよ!あんたは、いつ、だ……って……」



涙の所為で声がつまってそれ以上をウィンリィが言うことはなかった。


彼の勝手さを怒っているのに。身分ばかり気にすることを、咎めたいはずだったのに。
嗚呼、だけど。だけど本当はずっと、ずっとこの瞬間を夢見ていた。
彼がやって来た時、どこかで、少しだけ期待していた。
すっかり諦めていたはずなのに、しかしどこまでも望んでいたのだ。
いや、望まずにはいられなかった。




――――だって、本当は、








「……バカっ……」



そう呟くとウィンリィは、申し訳なさそうに眉を下げていたエドワードに抱きついた。
首の辺りに手を回して、それからぎゅっと力を込める。
すぐ近くに感じる暖かさに、安心して、嬉しくて、どうしようもなかった。眩暈さえ覚える。
ただただ、幸せで泣きたかった。
しかし唇は裏腹に、バカ、と叱責を意味するものしか紡ぎださない。


いきなりの抱擁にエドワードは驚いて、思わず固まる。顔はすぐさま赤く染まった。
しかし、一度躊躇いはしたものの、直ぐに決心したようにゆっくりと自らの腕を彼女の体に回した。
こちらも言いたいことは沢山あったのだが、やはり謝罪の言葉以外が口をつくことはなかった。






―――本当は。いつだってただこうしたかったのだから。















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