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「………だったら、なんで」
悲痛にさえ聞える兄の独白からしばし後。
それに対する弟の返事は、唸るように始まった。
「なん……っでウィンリィにそう言ってあげないんだよ!!」
警告
人が通ることも稀な回廊のさらに隅、空気さえ淀みそうなそこに隠れる様にして立つ二人の兄弟は同じ空間を共有してはいるものの、視線を合わせることはなかった。
そうなった直接の原因は直前の問答にあるものの、先程のアルフォンスの返答まで。
それまではどちらもしばらく動きはしなかった。黙ったままであった。
しかし沈黙というものは破られるものだ。
いっそ悲愴な程辛辣に吐き捨てた弟は自身の兄を見る。
エドワードはその非難に反応するかのようにびくりと震えた。
それからようやっと伏せていた顔を上げ、ゆるゆると弟を見る。
常には不敵な金色に輝く彼の瞳は、弱く微かに揺れている。
しかし、アルフォンスはそのことを気にもしないように、いや敢えて無視をして自らの主張を続けた。
「………兄さんはいつも自分のことばっかだ。自分の感情とか、身分とか。
そんなことばっかじゃないか……ッ!どうして、ウィンリィのことをもっと、もっと
考えてあげられないのさ!」
そう叫ばれた叱責の言葉。
しかし非難している側であるはずのアルフォンスの表情は、何故か泣きだすのを我慢する子供のように見えた。
まるで自身のことでもあるかように、辛そうで、苦しそうな。
しかしそんな弟の様子に気付きながらも。
全てを理解しているはずのアルフォンスの言葉だとしても。
いや、そんなアルフォンスだからこそ、その一方的たる言い様に黙っていることがエドワードにはできなかった。
ぎりと一度歯を食い縛り、揺れていた瞳に本来の感情的な輝きを取り戻してから、しかとアルフォンスを睨み上げる。
「………じゃあ、どうしろって言うんだよ………」
静かな回廊に、その唸るような問いは軽く反響する程響いた。
しかしエドワードがそれを気にすることはない。また、同じことを口にする。
「………オレにどうしろっていうんだよ、あぁ!?」
それはもはや八つ当りに過ぎない。
しかし、彼の中の冷静ではいられない何かは、確かにはっきりと弟に向けられていた。
それは、本来自身に対する非難が形を変えたものに過ぎない。
だが、それでもエドワードにはそれを止めることは出来なかった。
色々な意味で、限界だったのだ。
兄の突然たる感情的な問いに驚く様に呆然とした顔を浮かべたのはアルフォンスである。
だが、彼は戸惑いながらも答えを返そうと、なんとか口を開く。
「それ…は。だからッ!兄さんがちゃんと自分の気持ちを言えば」
「言ってどうしろってんだ?あいつに国を捨ててくれって頼めってか?」
「だ、誰もそこまで言ってないじゃないかッ!ただボクは」
「同じことだ!今回の見合いにはウィンリィのことだけじゃなくて、
国の未来も掛かってるんだ。それなのに、そんなことが、できるわけ」
「…じゃあ、兄さんはッ!」
出来るわけないだろう、とはずのエドワードの言葉は、耐えかねたように叫んだ弟の声にかき消される。
いつも穏やかなアルフォンスにしては切羽詰まった声だ。
それは、激情の川に身を委ねていたエドワードを冷静の淵へと一瞬で引き上げた。
しかし、視線は外せなかった。いや、怒りに輝く弟の闇琥珀色の瞳がそれを許さない。
「……じゃあ、兄さんはッ!
国のために、このままウィンリィが誰か知らない人と結婚しちゃってもいいっていうの!?」
「…………………そ、れは……」
そこまでであった。
一番弱みとなる所を指摘され、エドワードの返答が詰まったことをきっかけに、言い争いは自然と止まる。
兄弟の論争は、弟に軍配が上がったのだ。
エドワードはようやく視線を弟から外すことを許される。
しん、と辺りは静まり返った。
だがアルフォンスはというと、しかと兄を闇琥珀で見据えたままで、ぴくりとも動かない。
まるで軽蔑のごとく冷たい視線がエドワードへと刺さる。
心が芯から凍り付くような恐怖が、例え様もない罪悪感が、彼を包み込む。
この沈黙と張り詰めた空気で構成される奇妙な空間の支配権を握ったのは、明らかにアルフォンスだった。
何も言わず、いや何も言うことが出来ず、ただ目を伏せ歯を食い縛るだけのエドワードに、空間の王は静かに語り掛ける。
「……国も、国の未来も確かに大事だよ。兄さんの役目は、国を守ることだから。
だけど、だからこそ、ボクは。兄さんが何で騎士になったのか、思い出して欲しい」
「………」
エドワードは答えない。
何故なら、それは彼が一番望んだことであったから。
狂おしいほどに渇望した願いであったから。
彼女を守ることが、支えることが、一番。
「………何も言わなくても、言ったとしても。どっちにしろ大変なことになるんだったらさ。
だったら、ウィンリィをこれ以上悲しませない方を選んでよ。泣かせないでよ。
ウィンリィの泣き顔を見るの、ボクはもう、嫌だ」
聞き分けのない子供を諭すように。
支配者はゆっくりと、しかしはっきりとエドワードに告げる。
喉が一度、こくりと揺れた。瞳は、見開かれている。
それを確認した後、空間の主――――――アルフォンスは、呆然としたままの彼を残して、すっときびすを返した。
しかしそのまま立ち去ることは無かった。
数歩足を進めたのち、振り返らずに兄さん、と呼び掛ける。
「……もし。もし、兄さんがこれ以上、ウィンリィを泣かせることがあったら。
ボクは兄さんを………一生軽蔑する」
独り言のようにそれだけぽつりと呟くと、アルフォンスは再び足を進める。
それきり、二度と歩みをやめることも、また振り返ることもしなかった。
だから、彼は知らない。
一人その場に残ったエドワードが、腰に下げた女王の剣の鞘をぎゅっと確かめるように握り締めたことも。
それから、狂おしくその顔を歪めたことも。
そしてきっ、と口を引き結んだことも。
しかし、その金の瞳が静かに輝いていたことも。
アルフォンスが知るはずは、無かった。
一人、アルフォンスは黙々と廊下を行く。
彼の進む先には、午後の暖かな光が窓の格子の合間から零れていた。
まだ早春と言うことでその日光は弱々しいものであったが、それでも長い冬の終わりを告げる春の予兆に人は心を浮き立たせるものだ。
しかし今のアルフォンスには、近づいてくる春の足音に耳をすませる程の余裕はなかった。
彼の心は、頭の中はどこまでも二人の人物によって被い尽くされていたからだ。
そう、二人。唯一の身内である兄と、何にも変えがたい存在である幼馴染みのことで。
彼らが昔から少なからず想い合っているのを、アルフォンスは知っていた。
いや、漠然とであるが気付いていた。
その憶測は兄が騎士になると言いだした時、確信に変わった。
兄には直接、入団の理由を聞かされたし、姫君も姫君で、泣きながらアルフォンスに詰め寄ってきたのだ。
何故彼は突然そんなことを言いだしたの、と。
しかしいくら二人の気持ちに気付いたとしても、彼が具体的に何か行動を起こすことは無かった。
起こしたとしても、兄を少しだけ煽るような言葉をかけるだけであった。
何故なら、それは二人の問題であると思っていたからだ。
二人が心を通わせることも、それによって生ずる種々の問題も、二人で解決してもらいたいと考えたからである。
しかし、現状はそうも言っていられなくなった。
彼は、見てしまったのである。姫君の涙を。
兄の心にもない言葉に傷ついて、誰からの慰めも受け入れないその姿を。
あまつさえ、そのまま本意ではない見合いをしようとしている彼女を。
彼女の、笑った顔が好きだった。
兄とは少し違う感情だが、本当に大好きだった。
泣かないで、ずっと笑っていてほしかった。
だから、そのためだけに。
そのためだけにアルフォンスは動くことにした。いや、自然と動いていた。
兄のためではなく、大切な幼馴染みのために。
大好きな彼女がまた、屈託の無い笑顔を浮かべられるようになるように。
だからこそ姫君の気持ちにまったくもって気が付かず、気付いてからもなお動くことが出来ない兄のことが、彼は心から腹立たしかった。
本心に気が付いていないのは彼女も同じだが、それでもやはり彼の憤慨の対象はエドワードだった。
昔は、いや今も時折感情に任せて行動をしているくせに、騎士としての彼はそれを抑えるようにしている。
特に、彼女のことになると恐ろしいほどに慎重になりすぎる。
色々考えすぎて、動けなくなってしまう。
それは彼なりに、ウィンリィの幸せを願っての、ただそれゆえの行動だ。
しかしその結果が逆に、彼女を泣かせてしまっていることに最後まで気が付かなかったその鈍さが、本気で憎らしかった。
アルフォンスは足を止めた。
そしてそれから窓格子の向こう側へと視線をやる。
ガラスの先に見えるのは、姫君の私室である尖塔の窓だ。
今、彼女はきっと、いや絶対に泣いているんだろう。
叶わないと思ってしまった恋を憂い、傷ついた自身の心に涙しているのだろう。
居た堪れなさに、彼はきゅっと唇を噛む。
アルフォンスに出来ることは、ここまでだった。
あとは、兄が動くのを祈るしかない。いや、絶対に兄は動かなければならない。
彼が姫君の幸せを願うのなら、それは絶対にだ。
なぜなら姫君の一番の幸せは、きっと想い人と結ばれることなのだから。
目線を再び進むべき方向へ戻すと、アルフォンスは走り始める。
あと少しで、休憩時間が終わりそうだった。
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