1、宣戦布告はかくあらん









オレがこの仕事を始めたのは、駆け落ちまでして結婚した旦那さんに先立たれてからだ。
一生お傍にいますからと約束した彼は、流行病であっさりと逝ってしまった。
今の時分、病気で大切な人を無くすのは珍しい話じゃない。
道端に転がる石ころくらいよくあること。
どうしようもなかった。どうにもならなかった。
遺された人間には、そうやって諦めることしかできないのだ。
でもそうはいったって、理解してたって、当時のオレはそりゃあ落ち込んだ。
泣いて泣いて泣いて、これでもかってくらい泣いた。
絶望、っていうんだろうか。なんだか全部どうでもよくなったりしちゃってさ。
この身の不幸を嘆いて彼のいる世界にいくという選択肢が一瞬、頭を掠めるくらい。
けど、実際そんなことはしなかった。
それはオレ自身の意志であり、そしてなにより彼との約束だったから。
生きてください、幸せになってくださいと。
だから、あんまり落ち込んでばかりもいられなかったのだ。





だけど現実として、たった一人残された未亡人に世の中は甘くはなかった。
まず、お金が無かった。貯金は薬代とかで殆ど残っていなかったから。
お金を手に入れるためには、当然だけど働かなくちゃならない。
いちおう、貴族と呼ばれる家に生まれたオレは、それまで働いたことなんかなかったけどそうもいってられない。
働かなければお金が手に入らない。生きていけない。
実家に帰る気なんて更々なかった。どうしようかと本気で切羽つまった、そんな時だ。
新聞に「家庭教師募集」という文字を見つけたのは。
家庭教師ってのは、貴族なんかの上流階級の家の子供が、寄宿学校に行くまでに必要な教養と学問を授ける仕事だ。
一般的には教養ある未亡人とか、そんな人の仕事と言われている。
そういう意味において、オレはぴったりだった。
「貴族出身の未亡人」といっても言いすぎじゃないだろうしさ、一応。
つーか、他に技術があるわけでもないし。ま、平均よりは大分年が若いんだけど。
こーゆー仕事はオレみたいな二十代の人間は普通はやらない。上品なミセスのものだ。
とはいえ、法律で決まってる訳じゃないしなと自分を言い聞かせて挑んだ面接。
まあ、自信はこれっぽっちもなかったんだけどさ。
でも人間、駄目もとな時ほど結構うまくいくらしい。
拍子抜けするくらいあっさり採用されて。そして、そのまま今に至る。



まあこんなわけで、オレはどうにか生活している。
仕事は結構楽しい。嬉しいことにお給金もいい。
向いているかどうかなんてまったくわかんないけど、オレはこの家庭教師という仕事が好きだ。誇りだってある。
でも、自信の方はイマイチなぁ……。












オレは万年筆を片手に、数十枚の紙の束に向き合った。
先週出しておいた宿題だ。
外国文学の翻訳なんだけど、その出来は相変わらず完璧だった。
というか、出しておいた分よりかなり先までやってある。
むしろ、オレ、そこまで読んできてないんだけど。なんて思って冷や汗かいたその時。
にやりとしてやったりな顔をした少年と目があった。



「………なあ、リボーン」

「なんだ?」

「お前さ、コレ、確信犯だろ」

「なんのことだ?」



いけしゃあしゃあと、わざとらしく言ってくるリボーンに、オレは心の底から敵意を覚えた。



「とぼけるなよ。オレがここまで読んでないって分かってて、こんなばっかみたいに長ぁーくやっといたんだろ!?」

「意味わかんねえぞ。つーか、予習してないってどうゆうことだ、家庭教師さんよ」

「なっ、そ……それは」

「それは?」



思わず言葉につまった。もしかして、じゃなくて確実に、オレは今墓穴を掘ったらしい。
あわあわとしていると、ヤツはやれやれと言った調子でため息を吐いた。



「生徒が頑張って指示された分よりも多く予習してきたってのに。
 肝心の教師がこの体たらくか?」

「う」

「とんだダメ教師だな」



とどめの一言。思わずオレは机に突っ伏した。
鼻で笑うような気配がしたのでそちらを見ると、リボーンはしてやったりな顔をしている。
オレが仕事に自信が持てない理由、それはこの教え子である天才少年様のせいであった。
国の中でも指折りの大貴族。その次期当主になるだろうこの少年は、その名前と役割にぴったりな才能を持った子だった。とにかく、滅茶苦茶に頭がいい。
前にちらっと見たことあるんだけど、馬に乗るのもうまかった。
天才っていうのはこいつのようなことを言うんだろう。ついでに、顔も美少年と言うソレだ。
とにかく、すごい奴。それは認める。でも、だけど、こいつには重大な欠点がある。
それは頭がいい子供にありがちなことで。



「おい、いつまで寝てんだよ」



言うか早いか、べしんと頭をはたかれた。



「あでっ!……な、なにすんだよっ」



思わず睨む。すると、睨み返された。
顔がなまじ整ってる分、子供なのにすごく恐怖を感じる。



「今度は居眠りか?いい身分じゃねーか、ダメツナのくせに」

「……………もとはと言えば誰のせいだよ」

「なんか言ったか?」

「別に」



オレは頭をさすりながら、こっそりため息を吐いた。
そう、リボーンの欠点、それは人を完全になめくさってるってことだ。
っていうか根性が悪いんだよなー。今からこんなんで将来大丈夫なんだろうか。
オレの教育が悪かったとか後で言われたらやだなぁ。
つーか、コイツに家庭教師の必要性はあるのか?
でも仕事無くなったらオレ、困るし。路頭に迷うし。
あー、でも、コイツの性格の悪さはオレの所為でないことは確かだ。
だったら、まあいっか。うん、いいことにする。考えてもしょうがない。
オレは気を取り直して、リボーンの宿題、取りあえずオレが予習してる分だけにまた向き直った。子供らしからぬ小綺麗な筆記体で書かれた文章は、相変わらずだ。



「おー。完璧」

「当たり前だ」

「そーいうなよ。うん、お前、やっぱすごいなあ」



リボーンの方を向いて、思わず苦笑した。
感嘆したって言った方が正しいかもしれない。



「………別に」



そう言って、舌打ちをするリボーンは殊更不機嫌そうな顔をして見せる。
この顔。最初のうちは、何かしたのかと不安になったけど。
何だかんだでもう一年の付き合いだ。
これは、怒ってるわけじゃない。多分照れてるんだろうけど、言ったら怒るから言わないでおく。こいつもやっぱり恥ずかしいとかあるんだろうな。
うーん、こーゆー所は年相応に可愛いんだけどな。
オレは紙の束をとんとんとまとめた。
宿題は完璧。おまけに予習もオレより完璧ときたら、今日やることは何もない。



「何、片付けてんだよ」

「ん?ああ、今日終わり」

「はっ?」

「だってさ、やることないじゃん」

「教師がそれでいいのかよ」

「オレどーせダメ教師だし。あ、でも決められた時間まではここにいるよ。
 メイドさんとかに見つかったらアレだし」

「……開き直りやがった」



心底呆れたような声はあえて無視する。
余計なことはしないっていうのはオレのポリシーだ。
んーっと椅子の背もたれに体重を預けて、体を伸ばした。
このお屋敷に来る時は早起きをして長い距離歩いてくるから、疲れるんだよな。
そんなことをぼんやり考えると、ふあーっとあくびがでた。



「なー、リボーン」

「なんだ」

「オレ、寝るから」

「は?」

「いや、今日眠くてさ」

「お前、仕事中だろ」

「もー終わったじゃん。
 あ、なんかやりたいことあったら勝手にやってていいから」



言い終わる直前くらいにまたあくびが出た。
ダメだ。もう本当に寝てしまおう。



「………おい」



声がかけられたのは目を閉じようとした時だ。何だよと視線と声で答える。
目はほとんど開かなかった。むしろ開けないってほうが正しいくらい目蓋が重い。



「何してもいいんだよな?」



いつもよりも低い声が聞こえてきて、あれっと思った時だ。
襟と、付けていたネックレスがぐいっと引っ張られて。
次に分かったのは、首筋に感じる生暖かいものとちくりとした痛み。
驚いて目を大きく開く。と、こちらを見上げて、いや、睨んでいる綺麗な顔と目があった。
なんだか思わず息を飲む。と、ニヤリといつも人をからかう時のように少年は笑ってみせた。
それで我に返る。そして、何をされたかを考えて、考えて、んでとりあえず、絶句する。
反射的にオレはこの場から逃げようとした。それで後退りした。
椅子に座ったままっていう自分の状態なんかすっかり忘れていたんだ。
これが板張りの部屋とかだったらよかったんだけど、あいにくここは貴族のお屋敷。
しかれている絨毯だって毛の長い立派なものだった。
何が言いたいのかっていうと、つまりは全然椅子が滑んないってことで。
平たくいうと、オレは椅子ごと後ろにぶっ倒れた。



「なぁ             っ!?」



ダーンと大きな音が部屋いっぱいに響き渡る。
すぐに何事かと、ハウスメイドさんが部屋に飛び込んできた。
オレの様子を見て、心配そうに駆け寄ってくる。が、リボーンは何でもないと彼女を追い返してしまった。
不可解な顔をしていたが、この屋敷の使用人がリボーンに逆らえる訳がなく。
部屋は、またオレ達だけになった。
ちなみに未だ手で首筋を押さえながら床と仲良くしたままだ。
ちょっと、どころかかなり腰が痛い。
それでも件の絨毯のおかげで怪我はしていなかった。おお、ありがとう絨毯っ!
でもこの絨毯のせいでオレはコケたんじゃないか。
じゃあやっぱり絨毯のせいなのか。
いやいやそもそもオレがコケたのは驚いたからであって。
驚いたのはなんだかとんでもねーことをされたからであって。
そのとんでもねーことって、つまり。
あー、えー、う…………うええええええええええええええ!



「いつまで座ってんだ」



不意にかけられた声に、びくっとそちらを見る。
どうやら現実逃避はさせる気はないみたいだ。
すると何時も通り、心底呆れたようなリボーンがそこにいた。
あんまりいつもどおりなんで、逆に身体が強張った。
だけど無意識に口だけは動いた。



「いつまでって、おまっ、な、なにすんだよ!?」

「何って何が」

「………なっ!」



がばっとオレは立ち上がると、リボーンを睨みつけた。
だが、この傍若無人なお子様がそれでビビるわけもなく。
なんだかこっちが気圧されてしまう。



「な、なにがって。お前、大人をからかうなよ」



やっぱり口は勝手に動いた。
リボーンは、相変わらず冷たい目をして、いや、寧ろその表情は強ばっているように思える。



「からかってねぇ」

「じゃあ、何であんなことしたんだよ」



言いながらだんだんムカムカしてくるのが分かった。つーか態度が気に入らない。
いつもと違う。いつものリボーンじゃないリボーン。
その様子と言った内容が、気に入らなかった。
何だかんだいってオレはこいつを気に入っていた。
自分の子供、というか弟みたいだとすら思ってた。
こーゆー言い方とかするヤツじゃないのに。冗談でもあんなことするようなヤツじゃないのに。
そう思ってた。思ってたから、余計に。
どこか裏切られたような変なもやもやとかイライラが膨れていく。
オレは、リボーンを真っ直ぐ見た。



「なあ、リボーン」



だけどリボーンは答えなかった。
それにまた余計に腹が立って、オレはまた口を開こうとして。
でも出来なかった。感じたのは、分かったのは、唇の柔らかさと暖かさ。



「うっ…………!?」



キスされてる。そう分かった瞬間、オレは顔を逸らしてそれから逃げた。
だけどさっきみたいに、オレの服の襟を掴んでいたリボーンの顔は、すぐ近くにあるままだ。
漆黒の瞳が、真っ直ぐこちらを見ている。



「なに、すんだよ…!」

「宣戦布告」

「な、なんだよ。それ……っ」

「てめーがやりたいことしていいって言ったんだろ。だから、宣戦布告」

「は………っ?」

「………ガキだと思っていつまでもなめてるんじゃねぇよ」



そうして、リボーンは恐ろしい程綺麗に笑って見せた。
でも、決して目は笑ってはいなかった。それは子供の作る笑顔じゃあ、絶対になかった。
なんだか背中に嫌な汗が流れてるのを感じる。
頭の中でガンガンと危険を知らす音が響いてる。
気が付いたらオレは、息を喉をゴクリと鳴らしていた。