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<回想は重く>
厚く折り込まれたカーテンの隙間。
僅かに零れ落ちた日光は、まだ早朝ということもあって淡いものだった。
しかし、夜を撤して書類と向き合っていた人間にとって。
それは、十分すぎるほど眩しいものである。
広大な邸宅の中の、一室。
中々に広いそこで次期当主として執務にあたる青年にとって、この日の光はそれなりに眩しかった。だからかもしれない。
彼は、疲れ切った体を椅子にどさりと預け、先程から目を瞑っている。
そして右腕はその瞳の上に被せている。左腕はだらりと投げ出していた。
しかし眠っているわけではない。また、実際は眩しさからくる行為というわけではなかった。
彼はただ、考え事をしていたのである。
何を。それは、目の前の机に散らばる沢山の書類とはあまり関係が無い。
それらは少なからず彼を悩ませることはあるが、今はそうではなかった。
今、彼の感情を、頭を支配するのはそれよりも遥かに重大で、大切な事だ。
頭に乗せた右腕はそのままに、青年は微かに目を開く。
その目に少しだけ飛び込んできたもの。
それは書類の上に無造作にもぽんと置かれた華やかな封筒。
昨日の夜に、彼女が拾い上げてくれたそれ。
思わずその瞬間の光景と、誓約が頭を掠め、青年は顔を緩やかに歪める。
それから、その後のことを反射的に思い出し、彼は唇を引き結んだ。
血が出そうなほど、きつく。
―――――――駄目だ。
やがて頭に流れ出でたのは、その静かな声だった。
異論を一際認めはしない圧力を感じた父親の、声。
彼女との結婚を認めてくれ。そう宣言した彼に対し、現当主たる父が返した言葉。
そして、何を馬鹿なことを言っているのかとそれは続いた。
距離があったためか。椅子に腰をかけ、執務机に肘をつく父のランプの明かりに照らされたその表情は向かい立つ青年には伺うことはできなかった。無論、その感情は同様である。
ただ、父の身につけた眼鏡の硝子に光が映っていることが辛うじて認識することができたのみだ。父の隣に寄り添う様に立つ母は、息子の言葉に驚愕が晴れぬようで呆然としていたのを彼は、はっきりと覚えている。
そして、その時の自身の欝屈たる感情もまたありありと思い出せた。
いや、その感情は今現在、父親との会談から数時間過ぎた後もしかと続いていた。
むしろ今の方が強いかもしれない。しかし今は冷静さというものが彼を包んでいる。
その分思考はよく、嫌になるくらい働いていた。あの時はそれがなかったのだ。
だからこそ、彼は唸るように反論をしたのである。
何故、と。
金色の眼光を鮮烈なまでに鋭くさせて。 まるで喧嘩を挑むかのように。
しかしそれに対して父の答えはひどく単純なものだった。
当たり前だ。それだけである。
そして続けた。 理由などあげる必要があるのか、と。
メイドと貴族の結婚など、認められないのが当然だと。
何故お前はその理由を求めるのかとも。
淡々と、顔色一つ変えずに告げられた内容は、青年を憤慨させるには十分であった。
しかしそれでも彼は耐えていた。
反対されるというのは既知のことであり予測通りであったためである。
だからこそ冷静さは無くしていても彼はまだその場に立っていることができた。
口を開かずにただ黙って父の言い分を聞いていたのである。
全てを聞かなければ反証をすることもできないだろうと考えたからだ。
全ての異論を聞き入れて、分かっていて。
それでもなお自分は望むのだと両親に宣言するつもりだった。
しかし、その決心は脆くも崩れ去った。
きっかけはたった一言だった。
それまで無感情に息子を諭していた父が、ため息混じりに呟いた言葉。
たかがメイドごときに心を砕く暇があるならば夜会の一つにでも出ればよかろうに。
たかがメイド。
明らかに軽蔑的な響きが込められたもの。
それは貴族として生まれ育った父にとっては至極当然の感想に違いなかった。
またそう思うことが一般的である。
しかし、その発言は青年を完全に憤らせるには十分だった。
―――たかが、とはなんだ。
次の瞬間、彼はそう口にしていた。低く低く響く声で。
それから、完全に敵意を込めた視線を投げかけつつ同じ事を繰り返した。
たかが、とはなんなのかと。
驚いたのは彼の両親である。しかしさすがは現当主といったところか。
父はすぐにそれを正して訝しげに彼を見上げた。
そして、いささか興奮気味の息子を落ち着かせようと嗜める。
しかし青年の怒りが収まることはなかった。
彼の唇は感情のままに動き続ける。
彼女のことなど何も知らないくせに。勝手に、彼女を判断するな。
声高に、そしてはっきりと告げられた言葉にその場の空気が一瞬止まった。
再び彼の両親は息を飲む。二人が二人とも呆気に取られていた。
しかしそれは声を出した青年も同じことで、彼はすぐに我に返る。
しかし今更発言を取り消すわけにもいかない。
また取り消す気も毛頭無かった。
我に返ったとはいえおよそ冷静とは言い難い感情だったからだ。
呆然とする両親から視線を逸らす。しばし沈黙が空間を支配する。
しかし思い立つと、彼は失礼しますと無感情に告げ踵を返した。
これ以上議論する気になど、とてもではないが無かった。
少しばかり乱暴に扉を開け放ち、彼は部屋を足早に後にしたのである。
エドワード、と父が名を呼ぶのにも気を止める事もせずに。
エドワードは薄ら開けていた瞳を完全に開いた。
それまでの思巡を振り払うかのように右腕をぞんざいに除けた。
そしてゆるりと立ち上がってみる。
徹夜明けで少しばかりふらつく足で、窓の方へと向かう。
結局昨日は一睡もしなかった。
厚いカーテンの隙間を、自らの手で少し押し広げた。
差し込む光は鮮烈で、痛い程だ。
そこから覗く世界はいっそ不快なまでに輝いていている。
彼は眉間に皺を寄せた。
分かっているのだ。このままではいけないことなど。
昨日の彼女の笑顔に、信頼に答えるために。
自分が、どうにかしなければいけないことくらい。
しかし現状ははっきりいって芳しくはなかった。
せめて、昨日もっと冷静さを保っていられたら、と悔いずにはいられない。
しかしそうであったからといって、状況が好転したかというとそうとも言いきれなかった。
だからこそ今、こうして頭を抱えているのである。
どうにかしようと、考えを巡らせている。
しかし、一晩たっても何一つ良策など思いつきやしなかったのが、現実だ。
それが不甲斐なかった。無力さを思い知らされているようで。
焦燥の感情もある。
彼女にあれだけ偉そうな宣言をしておいて、この様か。
結局、何も出来てはいないではないかと。
舌打ちを一つする。光が、眩しい。
そしてカーテンから手を離した。部屋は再び薄暗い状態へと戻る。
大きく息を吐いて、ネクタイを緩めながら彼は寝台へと向かう。
上着はそこらに投げ捨てた。
やわらかなそこに身を投げ出すと、急速に眠気が襲ってきた。
ゆっくりと目を瞑り、息を吐く。
堕ちてゆく意識の中、頭に映るのは昨日の夜の彼女。
浮かぶのは暖かな夜食と、笑顔で彼を迎えてくれた姿。
蘇るのは何も聞かず、ただご苦労さまといってくれた優しさ。
結局、彼女のそんな優しさに自身はただ甘えているにすぎないのだと彼は理解している。
だからこそそんな自身に吐き気がするほどの嫌悪感を感じている。
罪悪感もまた、同じくらい。
心を支配するのはそんな重いものばかりだ。
しかしそれでも、やはり体は疲れていたらしい。
ふわりとした寝台の感触に、エドワードの意識は段々に途絶えていった。
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