<灰色の町にて>







厚く黒い雲が、空一面を覆い尽くしている。
空気は、ひどく湿っていてまたひどく冷たかった。
太陽の暖かな光が存在しないためである。だからであろうか。
都の昼にしては、街を行き交う人の数はそれほど多くは無かった。
また、道を走る馬車も同様である。
時折、蹄が地を蹴る軽やかな音や、馬の嘶きが聞こえる程度だ。
しかしその劈くような響きも、湿った空気の中に霧散してゆく。


直に雨が降りそうな、そんな気配だった。












帝都の大通り。
そこもまた例に漏れず、歩く者の姿は少なかった。
しかしそうはいうものの、他の通りに比べたら格段に多い。
正装をした紳士や、使いに出された使用人、通りすがりの初老とおぼしき男や、はたまた小さな花束を売る少女。此処を歩く人間は、そのように多種多様だった。
その中に、長い金髪を一つに纏め上げた青年が居る。
急いだ様子で、道を歩くその姿は、エドワードだ。
足を進めるたびに、長いコートの裾が風をはらんで翻る。
それは正装とされるイブニングコートでは無く、フロックコートである。
また頭にはシルクハットではなく、上部が丸いボウラーハットを被っていた。
貴族の息子の外出にしては、随分と軽装といった所か。
まるで、その辺りに転がっていたものを慌てて身に付けてきたようにも見える。
急いでいたのが目に見えて分かるような、そんな格好だ。
その表情は天気と同じで、晴れているとは言い難い。ひどく、厳しいものであった。
そして、早足で歩き続けている所為か。呼吸は若干荒い。
だが、彼は歩みを止めはしなかった。
止めることが出来なかった、といった方が正しいのだろうか。


頭の中に巡るは薄い金色。
それがエドワードをただ、ひたすらにそうさせている。
彼は微かに歯を食い縛る。
だがそうしてみた所で、淡いその金の輝きは見つかりはしない。
その欠片でさえも、未だ見つかってはいなかった。















父の執務室から退出した後。
エドワードは自室に戻ると急いで外出の支度をすると、馬車も使わずに家を飛び出した。
ともかく、彼女を見つけなければ。それだけを考えての行動。
しかし、その行方を探る手がかりはまったくと言っていいほど皆無だった。
身寄りもなく、何か特別な伝手もあるとは言えない彼女。
唯一の居場所であったエルリックの家を出て、いったい何処に向かうというのだろうか。
何処に、向かえるというのだろう。その答えは、無い。
しかし実際の問題として、彼女は姿を消した。
何処かへと、行ってしまったのだ。
エドワードに対して何一つ、残さずに。





そう、彼に手がかりなどまったく無かった。
こうして街を駆け回った所で、彼女を見つけ出すことがどれだけ難しいかも、理解していた。
それでも、僅かな可能性に縋るように。
エドワードは都の中で、彼女が向かいそうな所をまわったのである。
中央駅や、公園。教会や、更には救貧院にまでその足を運んだ。
少しでも彼女の消息を探ろうとした。
しかし、その結果は好ましいものとはまるで言えないものであった。
三日も前。しかも長い金髪に空色の瞳というこの国の民としては、余りに凡庸過ぎる娘のことなど誰も覚えてなど居なかったからだ。
いや、そもそも。彼女が来たかどうかすら分からない。
もしかしたら、もう既にこの帝都には居ないのかもしれない。



三日という時間が大きな痛手だった。
その時の流れが、彼女の痕跡を辿ることを更に困難にしている。
見つかる可能性を、限りなく低くしていた。
八方塞がりとはまさにこのことを言うのだろう。
しかしそれでもやはりエドワードは、諦めることが出来なかった。
だからこそこうして今、人が多い大通りを中心に、彼は帝都中を歩き回っている。
もしかしたら彼女が通りかかるかもしれない、という小さすぎる希望を込めて。
少しでも可能性があるところを、巡っている。






しかし、そうしてあての無い行為を始めてから。どれくらいの時間が経つのだろうか。
エドワードは、足を止める事無く上着のポケットに入れたままの懐中時計を取り出した。
針は、彼が家を出た時から二時間後の時刻を指している。
直に日も暮れるだろう。思わず、彼は舌打ちをする。
乱暴にまた銀の時計をポケットへと戻した。
時の流れは、知りたくもない現実だった。
日の傾きは、限界を示すようで憎たらしかった。
歩き続ける自らの靴音が、耳に響く。
静寂とは言えない街中で規則的なそれだけが、ひどく煩く感じた。
苛立ちさえ、覚える。



だが、その攻撃的な感情がもちろん八つ当りだということにエドワードは気付いていた。
無駄で、どうしようもないこととも。
しかし現実として、彼はひどく苛立っている。
ひどく、怒ってもいた。












初め、その感情は特定の存在に対してのものであった。
そう、彼は憤っていた。激しい敵意に似たものも、そこに内在していた。
よくも彼女を。よくも、よくも。


だがそれはともすれば子供じみた感情である。
だからこそ、彼は押さえ込もうとしていた。
自分の玩具を取り上げられた幼子が駄々をこねる時のように。
突き付けられた理不尽さをただ嘆くだけのものだと知っていたからだ。
何も生み出しはしない無意味なもの。
そう、分かっている。落ち着きも、随分取り戻した。
だが、しかしそれでも憤りと怒りの焔は消えることも無く彼の内に煌々と燃え盛っていた。
寧ろ逆に激しくなるばかりである。
しかしそれはもちろん、あの父に対してのものではない。
誰か、他人に対してのものではない。






靴音が相変わらず煩かった。彼は、不快を顔に出したままだ。
怒りも、不思議と敵意すらもそこにあった。手を、きつく握り締める。
だがその感情は消えない。エドワードは、やはりひどく憤っていたからだ。
しかしそれは何よりも、誰よりも、自分自身に対してのものだった。



手段も持たないままに、感情だけで無責任な宣言を彼女にしたこと。
ただ勢いだけで、彼女のことを両親に告げたこと。
その結果、彼女に降り掛かる厄災を、予感すらしなかったこと。



その全てが、自身の甘さの所為だと彼は痛感していた。
それは後悔と呼ぶには足りない程激しい。
自らに対しての黒く愚鈍とした怒りは、エドワードを先程から捕らえ続けている。
そして、それはいっそ矛盾にも冷静さを帯びて彼自身を責め立てるのだ。








理解していたはずではないか。彼は、自分自身に投げ掛ける。
あの父が、どういう人間かなど、分かり切っていたくせに何故こうなると考えすらしなかった。
何故、彼女を守ることが出来なかった。
しかしそれは、ただただ彼を追い詰めてゆくだけである。
靴音が、相変わらず煩い。しかし、通りに彼女の姿は無かった。
その現実は、また違う方向から自らを責める材料に成る。
エドワードは再び、小さく舌打ちをした。
三日も放置した挙句に、まだ彼女を見つけられていない。








そう、彼が自らに怒りを感じる要因は他にもあった。
それは未だに彼女を見つけることが出来ないことである。
そのことがエドワードはただ腹立たしかった。
情けなかった、といった方が正しいのかもしれない。
人一人さえ、見つけることが出来ないことが。
そして悔しかった。愚かだとも思った。彼は、手に力を更に込める。
しかし痛みすら何も感じはしない。
それがひどく奇妙で、エドワードは自らを蔑んでみた。
自嘲、では無かった。嗤いは零れはしなかったからだ。
なんと情けない。考えるのは、それだった。
この身は、ただ一人の愛しい者すら、見つけることが適わないのか。
守ることすら、出来ないのか。


何が貴族だ。何が、次期当主だ。
自分は、ただの無力な人間ではないか。
玩具を取り上げられて泣く子供と、何も変わらないではないか。












そこまで考えて、エドワードはまたひどく顔を歪めた。
まったく、反吐が出る。
何故か少し、気持ちが悪かった。寒さの所為だろうか。
ぐるりと淀むような頭の痛さに、エドワードは足を止めそうになる。
しかし、そうはしなかった。彼の足は、何かに操られたように動き続けたままだ。
そうさせたのは、焦燥感そのものである。彼の強過ぎる焦りであった。
そしてそれは、怒りよりも憤りよりも、何よりも強い感情でもある。
彼自身を一番強く支配する感情だった。
それだけが、今、実際にエドワードを動かしている。





結局、彼の望みはたった一つだった。
早く、見つけなければ。一刻も早く、彼女を見つけなければ。
ただ、それだけであった。
何故だろうか。今ここで、見つけなければ、二度と会えない気さえする。
二度と、あの輝きを見ることは出来ないかもしれない。
そんなこと、あってはならない。認められない。
エドワードは、真直ぐに道の先を見据える。
いつの間にか大きな通りから、小さな通りへと足を踏み入れていた。
しかし此処にも、馴染んだ淡い金色はやはり、無い。



それでも、彼は思う。そうだ。とにかく彼女を見つけよう。
話はそれからだ。見つけて、見つけ出して。
そして、それから。それから、それから…………………………。








――――――――――どうする、というのだ。













彼女を見つけだしたとして、それからどうすると言うのだろう。
彼女を守る?いったい、どうやって。
父親を説得する?その力があるのか。
そもそも、そんな物があったらこんな事態にはならなかった筈だ。
こんな事態を作り出したのは何だ?
それは、自らの無力さと甘さ以外の何物ではないか。





エドワードは、はっとした。微かに目を見開く。
それでも、そのひやりとした疑問を振り払うかのように、足を動かそうとした。
走りだそうとさえ、する。しかし問いは消える事無く彼の中に留まり続けるのだ。
そして自らに対してひたすらに、見たくも無い現実を突き付ける。









どうするのだ。
(アイツを見つけてから、それから考える)




それで本当に彼女を守れるのか。
(守る。……守らなきゃ、いけない。約束した)




その力がお前にあるというのか。
(……今はない。だが、いつかは、必ず)



いつか?
(あぁ、そうだ。いつか……いつかは…)







彼女を見つけだすことすら出来ないお前が、本当にそんな力を持てるとでも?














エドワードは、その内からの言葉に息を飲んだ。
頭が、ひどく痛い。茫然と、その金色の瞳を彷徨わせる。
それでも、必死に頭を振る。心の内でひたすらに叫ぶ。



そんなことを考えるな。今重要なのはそんなことではない。
見つけるんだ。ともかく、見つけ出して。
そう。見つけて、見つけて、見つけて。早く、彼女を。
見つけなければ。全ては見つけてからじゃないか。
だから、今は余計なことを考えるな。思うな。
考えちゃ、いけない。



痛々しいまでに繰り返す。
冷静さも、論理的な思考もどこかへと追いやって、それだけを彼は考える。
言い聞かせる。必死だった。力を込めたままの拳は、いつの間にか真っ白になっていた。
喉の奥に、鉄の味を感じた。だがそれすらも気が付かないふりをする。
エドワードは、縋ってくる疑問を振り払うために走りだそうとする。









その時、頬に何か冷たい感触を覚えて、彼は我に返った。
思わず立ち止まって空を見上げる。小さな雨粒であった。
だが直ぐに、疎らだったその雫は絶え間なく降り続く雨となる。
しとしとと落ちて街を静かに包み込む。
そして、それは立ち尽くしたエドワードにも分け隔て無く届いた。
まるで彼の怒りも、焦りも、疑問も。
そして、追い詰める焦りさえも流すように。
だが、それらは決して消え去りはしなかった。
鮮烈な恋情が決して消えないのと同じように。



だからこそ、苦しい。









エドワードは視線を足元に落とした。彼の体はもうすっかりと濡れていた。
しかし行き場の無い感情は溜まる一方だった。
同時に、彼女はきっとこのまま見つかりはしないのかというひどく冷たい予感が彼を襲う。
どこか現実的な不安だった。エドワードは、唸るような声を零した。
しかし雨音によって、小さなそれはかき消される。






それは怒りも、嘆きも、憤りも。そして不安でさえもぶつける為の行為だったのか。
エドワードは、右拳で傍の壁を強く横に殴った。
鈍い音が辺りに響く。少ないとはいえ、通りかかる人間は皆、不審そうに彼を見る。
だが、もちろんそれをエドワードが気に掛ける様子は無い。
殴ったままの体勢で、ぴくりとも動かなかった。
ただ顔を歪め、歯を食い縛っているだけである。
不思議なことに、石壁を殴った筈が彼の右手は痛みを殆ど感じてはいない。
ただ、冷たさを感じるだけであった。









彼女は、この雨を知っているのだろうか。
それとも、知らないのだろうか。
しかしそんなことさえ、エドワードには分からなかった。







雨は、ただ静かに帝都に降り注いでいる。























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