先往く光





一つため息をつくと、青年は万年筆を置いた。
彼のサインを必要とする書類はまだ沢山残っていて、とても今日一日では終わりそうもない。 またため息を吐くと、彼は思い出したかのようにポケットの中から懐中時計を取り出してその蓋を開けた。
鈍く銀に輝く文字盤が室内光に照らされ、古ぼけた針は夜と呼ぶにふさわしい時を指している。 見間違いではと、ちょっとした希望をこめてもう一度目をこらすが、いくら凝視しても針は彼の希望を示すことはない。
眉間に少ししわをよせ、青年は時計をポケットに戻す。 それから凝り固まった自身の体を解すかのように背伸びをすると、そのままドサリと体を椅子に預けた。


「……終わんねぇ」


そしてぽつりとつぶやく。





青年は古くは貴族として国を動かし、今はその豊富な財で裏から国を動かしている一族の一員であった。 現在の当主は彼の父親である。
しかし実際は、業務の大半は彼がこなしていた。



大貴族エルリック家の次期当主エドワード・エルリック。




それが彼の立場であり、また、与えられた役目でもあった。






はぁ、と深呼吸かため息か。あるいはその両方かを吐くと、エドワードは体を起こして再び書類の山に目を落とした。
それは商談の取引についての簡素なモノから王室からの豪華な嘆願書、果ては使用人の給料についてなど多種多様である。
しかし、書類の大半を占めるのはそういった類のものではなかった。
薄っぺらい書類の後ろに隠れてちらりと見えている、
いや正確にはエドワード自身の手によって隠された大量の手紙は今だに手付かずだった。
エドワードはなんともなしにその中の一つをつまみ上げ、小綺麗に封されたそれをペーパーナイフも使わずにビリビリと手で破る。



中から出てきた紙には、“エドワード・エルリック様”とどこかの文官が書いた彼の名前。
続いてお決まりの時勢のあいさつと、ありがちな賛美の言葉。本題は最後に、ともすれば見落としがちな程度しかなかった。


“…………つきましては、さる晩餐会に是非とも参加していただきたく……”



そこまで目で追って、エドワードは手紙を投げ捨てるように机の上に置いた。
しかしふわりと宙に舞い、そのまま手紙は床に滑り落ちる。
それを拾うこともせずに彼は再び体を椅子の背に預け、息を吐く。


中身なんて始めから分かっていた。
エドワード宛ての手紙の五割、時に六割を占める晩餐会やら舞踏会への招待――――いや正確には、 そのような名を冠した年頃の、それも世間的には結婚適齢期と呼ばれる良家の娘との懇談会への招待状。 名門中の名門であるエルリック家、切れ者と名高い次期当主は伴侶をまだ持たないために家督を継げずにいる。
それならば自身の娘を、縁者を、是非未来のエルリック夫人にと考える貴族連中や地主、富豪は後を立たない。
だが、肝心の次期当主がその招待を受けたことはただの一度もなかった。 それが余計に手紙の量を増やすことに、彼自身とっくに気付いているのにも関わらず。
ともかくも、日に日に増えていく小綺麗な手紙は彼の頭を少なからず悩ませていた。


椅子に体を預けたまま、エドワードは天井を見上げ、そのままゆっくりと目を閉じた。




うまく世の中を渡って行くためには、招待を受けないことは良策ではないと十分に承諾している。
普通に考えて、大貴族の長男のすべき行動ではないことも。

結婚する意志が無いと言うわけではない。断じて、ない。
自分が望む相手と結婚が許されるのならば、今すぐにでもしたいとさえ思っている。
そう、許されるのならば直ぐに、だ。




そこが問題だった。




許されることなどあるのか。自分は貴族で、それも次期当主。
だが彼女は………………もし仮に結婚できたとしても問題は絶えないだろう。
まず第一に世間が認めない。様々な中傷、非難が降り掛かる。その時自分は守ってやれるのか、彼女を。
いや、そもそも、彼女はこんな煮え切らない男を選んでくれるのか?


そこまで考えて、エドワードは閉じていた目を開けた。
いけない、思考が後向きすぎだろと自嘲して、彼は落とした手紙を拾おうと席を立った。
しかし、その瞬間に誰かがコンコンと部屋の扉を叩く。



誰だ、と問うと娘らしい高い声がその名を告げた。エドワードは思わず顔をしかめる。
こんなことを考えていた時に、その考え事の中心である彼女が尋ねて来るとは。
どんな偶然か、そう思いながら入室の許可を出した。







扉を開けて入ってきたのは、青い眼の娘だった。身に纏う黒いドレスは長く、
その上につけた白いレースのエプロンと共に、広がる裾は彼女が歩く度にふわりと揺れる。
長いハニーブロンドを一つにまとめた頭の上にはふわふわしたヘアドレスがしっかりと停められていた。
この家で雇われているメイドに求められる、理想的な格好をした彼女は、エドワードに向き合うと用件を告げる。



「エドワード様、旦那様がお呼びです」



ですから直ぐに旦那様のお部屋へ、と続けた彼女に、エドワードが返事をすることは無かった。
訝しげにただ彼女を睨むだけである。



「エドワード様、ですから旦那様が…」

「…………」

「あの、旦那様が…」

「…………」

「エドワード様?」



はぁとため息を一つ吐くと、エドワードはメイドに向き直った。

「ウィンリィ」

名前を呼ばれ、メイドが眼を見開く。

「敬語、やめろっつってんだろ。いつも」

「ですが…」

「周りに人がいない時は普通に話す、そういったはずだけど」

「…命令ですか?」



命令、と言う表現は正直好きではなかった。しかし否定すると彼女は絶対に敬語をやめないだろう。
そう思ってエドワードは答える。



「あぁ」



命令だ、と続けた。そして彼女の答えを待つ。
頭を下げていたウィンリィは、はぁと大げさに息を吐くと絞りだすように答えた。



「……誰かに見つかったらどうすんのよ」

「その時はその時だ。つーかさっさとそうやって話せよ、お前」

「できるわけないじゃない。どこで誰が聞いてるかわかんないんだから。
 大体、アンタはいつも適当過ぎるのよ。この前だって廊下に人がいるのに」

「あ、アレは謝っただろ!……なあ」

「何よ」

「……何、怒ってんだよ」



憮然としてエドワードが問うと、ウィンリィは別に、とため息を吐いた。
呆れてます、そんな雰囲気を体全体から発している。
ぶつぶつ文句を言いながら、不意に彼女は床に落ちていた手紙に目を止めた。
直ぐに拾い上げ、ちらりと内容を見てからエドワードに渡す。



「ほら、落ちてる」

「あ、あぁ悪い」

受け取って、エドワードはそれを机の上に戻した。その様子を見ていたウィンリィが言う。

「…それ、晩餐会のお誘い?」

「……おぅ」



嘘をついてもどうにもならないので、エドワードは正直に答えた。
そう、と目の前のメイドはそれに答えてそれきり黙り込む。



しばらくの、沈黙。







「あ、あのさウィ」

「ちゃんと行きますって返事、しなさいよ」

「……お、おい」

「そうじゃないとアンタいつまで経っても結婚できないわよ?」

「……おい、ちょい待て」

「結婚しないとアンタ家督も継げないし、そしたらあたし達使用人も生活困るし」

「おい、ウィンリィ」

「あぁでも結婚したらこんな命令しないでよ。もし見つかったらホントに洒落にならな」




「ウィンリィッ!!!!」




部屋に、エドワードの怒声とも聞こえるような声が響く。






「……お前は、それでいいのかよ」



静かに、絞りだすように続ける。問われた方は答えない。
ただ、俯いていて。金色の髪に隠れ、その表情をエドワードから伺うことはできなかった。



「…ウィン」

「………いいわけ、ないじゃない」


ぽつり、そうウィンリィは呟いた。顔を上げて、エドワードを睨み付ける。


「良いわけないわよ。そんなの。けど……仕方ないし」


そう告げる彼女の声は、震えていた。青い瞳は涙がいまにも零れそうに揺れている。
そして、困ったような笑顔を浮かべていた。


「…アンタは貴族で、あたしの主人で、あたしは……あたしは平民で、メイドで…」

「……ウィンリィ」

「だから、うん。大丈夫。わかってるから、ちゃんと。覚悟も、してるし」




「もういい」






そう言うとエドワードは、目の前に立つ恋人を抱き締めた。
すっぽりと彼の腕に納まった彼女は、始めこそ驚きで固まったものの、後におずおずと自らの手を彼の腰に伸ばした。




「…ごめん」

「…エドがなんで謝るのよ」

「また、泣かせた」

「…あたしが勝手に泣いただけじゃない」




こんな時にさえ自分が悪いと言う彼女。 いつもそうだ、いつも彼女は自分自身よりもエドワードを優先する。
それなのに自分は………………彼女と一緒になると父親に宣言することもできない。
そればかりか、彼女にその旨さえ伝えていない。
このままでいいのか?このままで。




……………いや、そんなことは自分が一番分かっている。一番、自分が。







「ウィンリィ」




エドワードは抱き締める力を強める。ふわり、と甘い匂いが近くなる。




「……待ってろ」

「…エド?」




顔を上げたウィンリィと、エドワードの視線がぶつかる。




「…どうにかすっから、だから」




待っててくれ。

そう彼が告げるとウィンリィはきょとんとした表情を浮かべ、
その後直ぐに吹き出す。そして声を上げて笑い始めた。



「な、なんだよ!?」

「だって……あ、アンタからこんな台詞聞けるなんて夢にも思わなかったから、おか、おかしくって……」

「な、なんだよそりゃ!?」

「あ〜もう可笑しい」






何なんだ、とエドワードは思う。
せっかく必死の覚悟を決めたのに。
その反応がコレとはあまりにひどいんじゃないか。
だが、そう考えている間もウィンリィは関係なく自分の腕の中で笑い続けている。





「お前なぁ…!人がせっかく……」

「うん、待ってる」

にこりと笑って、ウィンリィが言った。

「へっ?」

「だから待ってるってば。……アンタがなんとかするんでしょ?」

「お、おう」

「じゃあ、待つわ」




そう言うと、ウィンリィはまた花が咲いたように笑う。





「ウィンリィ、お前…」

「あ〜、ほらほら旦那様がアンタのこと呼んでいるわよ!」

「へっ?お、おう」




そこで漸く、エドワードはウィンリィを抱き締めていた腕を解く。
抜け出た彼女は、部屋の出口の方に向かって歩き出す。
扉の手前で振り替えると、ウィンリィはえへへ、と頬を染めて微笑んだ。




あぁ、エドワードは思う。この笑顔に自分は昔から弱いのだ。無条件でこちらも頬が緩んでしまう。
だから守りたい。ずっと近くにいて欲しい。そう望んだのだ。




「よっし!!!」

「え、エド!?」




いきなり大声を出したために、ウィンリィが驚きの声を上げる。
だがエドワードはそれを気にも止めずに部屋の扉へと足を向ける。




「ちょっ、エド!」

「親父のトコ行ってくる」

「え、う、うん」

「あ、ウィンリィ。なんか夜食用意しといてくれ」

「わ、わかった……って何でアンタそんなに張り切って」



そこでエドワードはぴたりと足を止める。



「……親父にさ、お前のこと言ってくる」

「え………」

「親父を説得するのなんて大仕事だろ?」



だから腹減るだろ、夜食忘れんなよ、そう言うとエドワードは顔だけを彼女に向けて、悪戯っぽく笑った。
そして、返事を待つこともなく部屋から飛び出した。



父の部屋に向かいながら、エドワードは考える。彼女はどんな夜食を用意してくれているだろうか、
できればシチューがいい、と想像さえ巡らす。


彼が歩く廊下は真っ暗で、先を見渡すことはできない。
あぁ、まるで今の自分達の将来の様だと笑ってみる。
だが廊下は所々ランプによって明るく照らされていて、先は見えないがすぐ近くは見渡すことができた。
――――――――ますます自分達のようじゃないか。




確かに、先はまったく見えない。だけど、見える所まで進むことはいつだってできる。
先の心配は、その時になってからすればばいいのだ。

そうだ、自分は前に進む。

彼女が待ってくれているのだ。立ち止まる暇は無い。
だから、



「やってやるさ…!」



エドワードの声は、先の闇に吸い込まれるように静かに廊下に響いた。








珍しくリィさんより背が高いエドワードさん(笑)
『エマ』を読んでメイド熱に浮かされ書いたネタ。
……クサい。くさい。クサすぎだ。耐えられねぇ。
あ、クサくない別バージョン有ります(苦笑)