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「はい、あーん!」
少年は後悔していた。
いや、過去の、正確には三時間くらい前の自分自身を激しく恨んでいた。
なんで寝坊なんかしてんだ自分。いつまで寝てたんだ自分。
しかしながらその憤りは過去に向けてのものであるため、なんら現状に変化をきたしはしなかった。
それでも、そんなことはわかってはいても、彼はその眉間にシワを寄せるというその心情を端的に示す行為をやめることは出来ない。
彼の目の前には、大げさなまでにその存在を誇示するガラスの器があった。
その中には、桃色とはよくも表現したものだと言わざるをえない色の柔らかそうな桃の果肉。
柔らかくもなくしかしかたくもなく、銀色の匙いわゆるスプーンですくったならば、抵抗なく削られそうな具合の乳白色の氷果。
そして宝石の如く鮮やかにそれらを飾り立てる季節の果物と純白のクリーム。
そんなものが、ともかくも小綺麗に積み重なっていた。
パフェである。
初夏の今を象徴する桃の、いわゆる老舗と呼ばれるような店の。
つまり、少年のような高校生にはあまりに高級すぎる桃のパフェであった。
しかしその至極の一品たる甘味は、少年の口に入ることはない。
会計は彼出しであるはずなのに、だ。
だがそれでも、不思議とその全体量は着実に確実に少なくなっていった。
何故か。簡単である。
少年の向かいに座る少女が、それを着実に胃袋に納め続けているからだ。
ちなみに彼女が言うところの感想はこうである。
美味しいわねさすがに。
こんなんだったら毎回、遅刻してきてもいいわよあんた。
ことの始まりは単純だった。
久しぶりのデートに遅刻して、一時間以上彼女を待たせたのである。
しかしこれは単純ではあるが実に厄介な問題だった。
彼女を待たせるのはこれで連続4回目であったからだ。
記録更新である。少年はその面に関しては大変申し訳なく思った。
なので全身全霊をかけて謝った。ものすごく、謝った。
結果、なんとか許しは得たものの、彼女は誠意を示すことを要求してきたのであった。
つまりは何か奢りなさい、ということで。
しかしそこまでは少年にも納得がいくものだった。
ファミレスのケーキ一つや二つで彼女の機嫌が直るのならば安いものだからだ。
だが、それは甘い認識であったと後になって知ることになる。
彼女に連れられてやってきたデパートの喫茶店。
老舗の果物屋が経営するこの店は、実に老舗らしかった。
その客層も、値段も、すべてが彼が普段利用するファミレスの相場の三倍以上だったのである。
少年は最初、これはなんの冗談かと思った。
そして彼女が意気揚揚と注文した季節のパフェの値段に目を見開いた。
高い。いやいっそ法外と言ってもいいではないか。
かといって後には引けなかった。
それはプライドが許さない。負けた感じかする。
しかし現実問題として、財布には厳しい。厳しすぎだ。
嗚呼。とりあえず少年は訴えたい。
どうしてたかが紅茶がこんな冗談みたいな値段なのかと。
おかけで彼は先程からお冷やで喉を潤すはめになっている。
自分のためのパフェなんて注文したらリアルに財布が悲鳴を上げてしまう。
はああぁと少年はため息を胸中で吐いた。彼女の目に触れないためだ。
確かに悪いのは自分だけれども、このパフェはあまりに対価過多ではないだろうか。
理不尽だ。そんなことを思わずにはいれない。
だがそんな文句は口には出さない。
それは格好悪いし、何よりもなんとなく、怖かった。
しかしそこはさすがに長い付き合いの彼女である。
少年の様子に、こてっと小首を傾げてみせた。
おまけにどうかしたの、と聞いてくる。
しかしもちろん先程の内心を言うわけにいかないので、彼は何でもないとぶっきらぼうに答えてそっぽを向いた。
鎮座したままのパフェを見ていると行き場のない憤りが沸き上がりそうであったからである。
彼はまた胸中でため息を吐こうとした。
と、その時である。
はい。本当に美味しいわよ。
その言葉どおり、少年にそれを差し出してきたのは向かいに座る彼女であった。
少年は思わずうぇ?と気の抜けた声を洩らす。
その胸中から憤りはあっさりとかき消されていった。
代わりに彼の内心を支配していったのはもっと緊張と甘酸っぱさをはらんだもので。
これはアレか。いわゆる「はいあーん」というヤツではないだろうか。
今まで一度もやったことがない、あの恥ずかしくて阿呆臭くて、でもちょっとだけ、ほんの小指の爪程だけどいいなーと思わないでもないアレそのものではないか。
少年は思った。そんな馬鹿なありえねぇと。
だが同時に、まあこれくらいやっても別にバチはあたらないんじゃないかとも考えた。
たまに、恋人らしいことをやってもいいんじゃないか。
幸いにして、こんな店に知り合いがいるとも思えない。
誰に見られる心配もないのだ。ならば。
うれしいような恥ずかしいような照れ臭いような、それともその全部があわさって僅かに赤くなった顔で、彼はあーんと口を開いた。
そこに、ゆっくりとスプーンが近づいてゆく。
彼の心臓もとくとくと鳴り始める。
後、数センチ 。
つるりと口の中に飛び込んできたそれは、さわやかな香りとはかなさを併せ持っていた。
本当ならそんな必要さえなさそうなやわらかさだったのだが、よく味わうようにもぐもぐとしてしまう。
なるほど、確かに高いだけあると、彼は咀嚼しながらぼんやりと思った。
羞恥心からくる現実逃避だ。
貧乏性、といわれたら それまでだけれども。
いやいやそうは言っても、それは冷たくて甘くて、とてもとても美味しい。
今まで食べていた桃がまがい物とさえ思えるほどだ。
しかしそれ以上に、なんだか心がそわそわして落ち着かなった。
きっとこの味は忘れられないだろう。
今まで食べたパフェの中で一番美味しい、というのとはまた別の理由で。
ね、美味しいでしょ?
そう問う声に、ごくんと桃を飲み込みながら少年はうん、と答えた。
ついでにこくんと頷いてもみる。すると、何が可笑しかったのか。
吹き出す声が聞こえてきて、彼は我に返った。
見ると、スプーンを突き出したままの格好で、彼女は笑っている。
苦笑、というよりは、何か可笑しなものを見たといった具合の笑顔に、少年は今度は仏頂面になった。
なんだ、何がそんなに可笑しいのか。
何だよ。そう、彼は尋ねてみた。返ってきた答えはこうだ。
そんなに美味しそうな顔されたら何だか可笑しい。
なんだそれ。ますます意味がわからなくなって、少年は顔を更にしかめてみた。
確かに、旨かったのは事実だ。
しかし、それ以上にこちとら初めての「はいあーん」に浮かれていたのだ。
お前にとってはそうじゃないかもしれないけど。
むしろそうと気付いているかどうかも怪しいくらいだけど。
しかし少年の思いとは裏腹に、彼女は笑うのをやめなかった。
くすくすとなおも楽しそうに笑い続けている。
しびれを切らして、彼は笑うな!と軽く叫んだ。
ごめんごめん、返ってくる謝罪はしかしながら、未だ笑いが混じっている。
何だか馬鹿にされている気がして、少年はぷいっと顔を背けた。
ごめんってば。かけられる声にも答えなかった。
一人ではしゃいでいた自分が、なんだか情けなくすら感じはじめる。
そんなに阿呆くさい顔をしてたのか、なんてこともちらりと考えてみた。
しかしそうだとしても、こんなに笑わなくてもいいではないか。
もー。ほら、もう一口あげるから機嫌、直しなさいよ。
そんな言葉とともに、ついっとスプーンが突き出されたのは、ちょうど彼が眉間のしわを深くしたその時であった。
しかし、少年はそれをちらりとイチベツすると、愛想なく答えた。
いらね。ここでそれを貰ったら、負けた気がするからだ。
何遠慮してんのよ。ほらほら、あーん。
しかしそんな少年の意地っ張りな所を十分に理解している彼女は、そんなことを言ってきた。
しかも、随分と楽しそうに。
実の所、彼女もこの「はいあーん」が恥ずかしくないわけではなかったのだ。
しかし彼の反応が可笑しくて楽しくて、そしてちょっぴり可愛いかも、なんて思ってしまったのである。
もぐもぐと桃を味わう顔なんて、特にそうだったりする。
ならばもう一度、見てみたいではないか。
もちろんそれは少年には秘密だ。
そんなこと言ったら、きっと本気でへそを曲げてしまうから。
だからこそ、とびきりの笑顔で彼女は告げる。
はい、あーん。
少年は、間違いなくこの状況を確実に楽しんでいるだろう彼女を睨み付けた。
その顔は、笑顔だった。それはそれは晴れやかな可愛らしい笑顔だった。
なんだか悔しくて恥ずかしくて負けた気がして、今度は不思議と赤くなった顔でスプーンを睨み付ける。
それから、楽しそうな彼女に一矢報いるため、かぶっと勢い良く桃と生クリームに食らい付く。
ちょっ……もうっ、びっくりするじゃない!
彼女の声に、空々しく視線を逸らして彼はもぐもぐと咀嚼する。
ざまみろ、オレの勝ちだ。
そんなことを考えながら食べた桃は、相変わらず甘くて冷たくて、やっぱり美味しかった。
MEMO再録。拍手用に書いた 『オレと彼女と桃パフェと』 のオチだけが違うヴァージョンの話。
エドが受け臭く書けたので満足です。
「はいあーん」なんてうまい人が書けばもっと甘くなるモノなのにな!(失笑)
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