愚かなライオンと哀れな羊











カーテンすらない質素な部屋に、薄い蜂蜜色の光が差し込んでいる。
人里離れた修道院、その一室に届くそれは、淡い淡い痩せた月の光だった。
空間に動くものは無い。静寂と薄い闇が、奇妙に均等に調和している。
しかし、月光は確かにそこに不自然な影を照らしだしていた。
神に身を捧げた女だけが住むことを許されたこの部屋に存在するはずがない姿。
若い男だった。少なくとも見た目には、そう見える。


彼は備え付けられた寝台に座り、視線を足元に向けていた。
薄い光に照らされたその横顔の造形は、完璧に整っている。
一つにまとめた長い金髪も、誂えたように同じ色彩の瞳も、まるで人間では無くて何かの彫像のように麗しい。
彼は、その顔を狂おしく、だが美しく歪めていた。
薄光を浴びて苦悶の表情を浮かべる青年の姿。
それは何かの絵画を無理矢理切り取ったようにすら見える。
あまりに芸術的で、しかしだからこそ現実には存在しえぬ光景だった。
常人とは違う青年の格好もまた、その異様さを際立たせている。
それは古の時代の貴族の正装を全て闇色に染め上げて、それに金の装飾品をさまざまにちりばめた、と言うのが一番近いのだろうか。
どこか離れた世界の物にすら見える。
しかし事実、彼はこの世を統べる存在ではなかった。
それよりも、遥かに上位に位置する存在。
永遠に近い命を持ち、自然の要素を操る強き一族。 しかし月光に愛されたその代償として、陽光に疎まれた哀れな者達。
ヒトの血液を好むことから、人々の伝承では「吸血鬼」と呼ばれるモノ。
それが青年の正体であった。
若く見えるが、既に二百と少しの時を生きている、夜の一族の一人だ。


彼の隣には、一人、若い娘がいる。
研けば輝く原石のような、優しい面立ちの修道女だ。
身を包んだ簡素な修道衣が月光を浴びて、黒く黒く照らされている。
その光は、青年の衣裳に付けられた飾りを美しく輝かせてもいた。
静寂が破られたのは、その輝きが一際強くなった、その時だ。







「怖かったんだ」



ぽつり、と弱々しく紡がれた言葉は闇の中に一瞬響いて、しかし直ぐに消えた。
青年は、また繰り返す。



「オレは、お前が、怖かった」



返事は無かった。彼は顔を少し上げる。隣に座っているであろう、娘を見た。
驚いているかと思った彼女は、ただ真っすぐにこちらを見ていた。
ちゃんと聞いているから、と暗に言われている気がして。
しかしそれを見てはいられなくて、青年はまた視線を下げた。
口を開く。次の言葉を、言うためだ。



「初めは、そんなこと思わなかった。寧ろ、おもしれぇとか思ってた。
 自分を襲おうとしたバケモノを逃がす修道女なんて、ありえねーだろ、普通。
 だから、こんな人間を自分の物にできたらどんなに楽しいだろって」



うん、と小さな声が聞こえた。
怒りを覚えてもおかしくないようなことを言っているのに、その声は静かだった。
彼は、言葉を続ける。いや、続けなければならない。



「でも、お前とこうして会って、色んなこと話すうちに。
 えと、なんつーか、それが、単純に楽しくなった。ここに来るのが楽しみっていうか。
 一緒にいると居心地よくて。今まで、女といてそう感じたのって、無かったから。
 だから、その………変だって思った」



息を一つ、吐く。
変、と尋ねるような彼女の声に、曖昧な笑顔を返す。



「そう、変。おかしいだろって。女といて楽なんて。それも一族じゃなくて人間の、なんて。
 自分はどうかしちまったんじゃないかって思った。でも実際、お前と話すと楽しい。
 会えないと、イライラする。何してんだろ、とか考えたりする。それで、気付いた」



彼は歯を食い縛った。彼女の視線を、確かに感じる。
自らの顔が自然と険しくなるのが分かった。



「……それからは、必死だった。お前と距離置こうとした。
 必死で、行き着いた答えを否定しようとした。忘れろって。ありえない、相手は人間だろ。
 下等な生き物だろ。ただ血を飲みたいだけだろ、って。
 色々考えたりもした。手に入れてないから執着するだけだ。
 だったら無理矢理自分のものにしちまおうか。
 そしたら興味も無くなるんじゃないか、とか。オレの血飲ませて、同族にしちまえば、とか。
 いや、いっそ、殺してしまえば楽なんじゃないか、とか。
 なんでオレが女一人に、しかも人間の女なんかに。
 オレが……このオレがこんなにしんどい思いしなきゃいけないんだって」



彼は、笑った。自然と込み上げてきた、自嘲だった。



「でも結局、どれもできなかった。忘れることも、血を飲むことも、飲ませることも。
 それから……殺すことも。想像はしたんだ。
 白くなったお前の顔と、それを見下ろす返り血塗れの自分。
 でも、すぐに吐き気がして、無理だった。んで、頭ん中からそいつを消そうとしてさ。
 笑った顔とか、怒った顔とか。そんな、たわいもないのを必死で考えたよ。
 必死で、バカげた妄想を打ち消そうとしたんだ。
 でも、そんな必死な自分に気付いた時、今度は怖くなった。
 オレはどこまで、どこまでこの人間に踊らされるんだろうか。
 コイツは、どこまでオレをおかしくするんだろって」



顔は、見れなかった。勝手な言い分であることは、彼自身、理解していたからだ。
怒ることもしないで、黙って聞いていてくれることがただ有り難かった。



「……だから、お前が怖かった。いや、今でも怖い。
 オレが、オレを定義していたものがどうにかなっちまいそうで。
 でも、殺せなかった。お前を傷つけるなんて、まして殺すなんて、できない。
 ンなこと、耐えられねぇ」



次の言葉を口にしたら、きっともう取り返しができないだろう。
感情を否定することは、二度とできなくなる。だが、言わなくてはならない。
例えどんな結果になろうとも、それが運命だとすら感じた。
苦悶に満ちた、しかし神々しく輝く金色の瞳が、彼女を捉える。



「お前が、好きだ。大事なんだ。これまでの人生の中で、一番、大事なんだ」








静かに、淡々と告げた言葉は夜の闇と月の光が混ざった部屋の中に溶けていった。
青年は、待った。目の前の、気が遠くなるほど年の離れた娘の反応を待った。
永遠とさえ思われる、静寂。それを破ったのは、彼女だった。



「あたしの、気持ち、もう知ってるよね」



やっとのこと、といった様子で告げる。



「ここに、隣に、こうしているってことは、つまり、同じ気持ちってことよ」



そして静かに重ねられた手に、青年は驚きながら。
しかし恐る恐るといった具合で彼女の顔を見た。
僅かに、目元に光るものがある。



「バカだよね、あたし」



顔をしかめて、困ったような笑顔を浮かべる。
だが、声は涙が混じったそれであった。



「ホント、バカみたい。あたしは、修道女なのに。アンタは、吸血鬼なのに」



ついに耐えきれず、ぽろぽろと流した涙もそのままに、繰り返した。
バカみたい。ホントに、バカみたい。それでも笑おうと、笑っていようとした。
耐えきれなくて、吸血鬼は、その体をそっと、壊れ物を扱うかのように抱き締めた。
湧き出る様々な衝動は、都合よく、その影を潜めている。
ゆっくりと、彼は目を閉じた。
怖くて怖くて仕方がなかった人間は今、青年が少し力を込めるだけで、動かなくなるのだ。
そう、今なら何をするにも簡単だろう。
本能に基づいてその血を貪ることも、そして殺すことさえも。
随分ちっぽけな存在だと思った。何故、あれほど恐怖を覚えたのだろう。
不思議だった。そして同時に、哀れだとも思った。
彼ら一族に、身を委ねることがどれほど危険かをこの人間の娘は知らないのだ。
いや、分かっているのかもしれない。
しかし、もしそうだとしたらそれは、余計に哀れと言えるのではないか。



「……ホント、バカだよ」



吸血鬼は、呟いた。それは彼女に対してか。自らに対してか。
それとも、そのどちらに対してなのか。彼自身、もう分からなかった。
ただ、守らなければと思う。
このちっぽけで哀れな人間は、自分が守らなければならないと、それだけは。
愚かな吸血鬼は、哀れな人間の唇を自らのそれでそっと、塞いだ。
音は、無い。永劫に近い静寂。月光が、青年の装飾具を照らしている。
三日月の形を模したそれは、白いシーツの上で鮮やかに輝いた。
























実家でなんとなく読んだ翻訳本に影響を受けまくって書いたもの。管理人にしては珍しく台詞で話が進行してたり。
ちなみにその本に出てくる人間に惚れる吸血鬼の名前が「エドワード」でなんか不意打ちを食らいました。
コイツはいけるぜ、と浮かれたら予想以上に甘くなって二人が別人28号すぎてキモくて自分自身でビックリしています。
これだからシリアスなんて書くもんじゃねぇ……!(まてや)


……しかしなんていうか。ものごっつ悲恋になりそうですね、こいつら!(え)