だからボク達は途方にくれる









色はある。だけれど、輝きはない。
それが、ボクがこっちに来てから初めに思ったことだ。
鉛色の空の下に在るのはいつだって閑散とした街並と、濃緑の葉を繁らせた木々ばかりで、そこに鮮やかな色彩が見えることは殆ど無い。
今だってそう。汽車の窓の外を流れてゆく景色はモノクロオムなそれだった。
そのことに、不安と戸惑いを覚えることはもはや無い。
とっくに、いつのまにか。それを認識することもなく順応をしてしまったのだろう。


緩やかな振動と共に、がたんごとんと規則的な音が聞こえる。
いつのまにか下げていた目線を上げると、ぼんやりと車窓の外を見ている兄の姿がある。
もう随分と刻は進んだというのに、それはあの頃とまったく変わることはない。
二人とも、姿形も、その身を置く環境もすっかり変わっているにも関わらず、だ。
全てを取り戻すために旅をしていた時。あの当時のことをボクは確かに思い出し、また懐かしんでいるのだろう。
不思議なもので、辛かったことはあまり頭に浮かばない。浮かぶのは旅から旅の生活の中で、燦然と光るような優しいことだけだ。



だからなのだろうか。
ふと想像したこの汽車が向かう先。それは奇妙な程、故郷に酷似していた。
あのどこまでも優しい場所へと、ボクの想像上ではこの汽車は進んでいる。
それはいっそどこか愉快で、滑稽で。なんだか無性に自身を嘲笑したくなる。
今更、何を考えているのだろう。あの場所を捨てたのは。
必ず戻るという約束を破ったのは。全部、ボク自身だというのに。




「あの、席………空いていますか?」




今更どうしようもない感情に溺れそうになったボクを世界へと戻したのは、落ち着いた女性の声だった。
はっとして顔をそちらに向ける。
駅に着いたのか、汽車は知らないうちに止まっていた。
ボク達が向かい合って座る座席。その傍の通路に、彼女は立っていた。
長い薄金色の髪を高い所で一つに束ね、空色の瞳をこちらに向ける彼女は、いかにもこの国の民らしい。
よく目にする、凡庸な髪と瞳の色を持つひと。
だけど、彼女はボク達の思考を一瞬停止させた。
兄が、軽く息を飲む気配を感じる。



顔形は、似てはいない。
しかしあえていうのならばその纏う雰囲気とでもいうのだろうか。
それがどうしようもなく、似ていたのだ。

彼女は、彼女に。










「………あの?」



固まったままのボクを訝しんだのか、女性はまた声を発した。それを合図に我に返る。
急いで、腰を下ろす場所を探す彼女のために窓際の方へと寄った。
どうぞ、と声を掛ける。思っていたよりも普通に声が出たことに拍子抜けをした。
ありがとうございます、と小さく笑顔を浮かべた彼女がボクの隣に座ったのは、それからすぐ後のことだ。









よろしければ、と前置きをして女性が話し掛けてきたのは、汽車が動きだし、窓の外が流れてしばらくしてからだった。
お話しませんか。せっかく隣に座ったのだから。と人懐こい笑みを浮かべた彼女の提案。
それにボクが賛成したのは、いわば自然の成り行きだ。断わる理由が見当たらなかった。
そんなボク達をどう思ったのかは知らないが、兄はいつのまにか、視線を窓の外に戻していた。


どちらまで?それが空色の瞳の女性の第一声だった。
切符に印刷された地名―――目的地を告げると、わずかに驚いた表情を彼女は見せる。
実際、随分遠い所まで、と感嘆をしていた。なので思わず苦笑を洩らす。
そこは、新しい兵器について研究している科学者がいると噂がある土地だった。
ウラニウムについてなにか情報があるかもしれない。そう判断したために決まった目的地。
しかし、そのことを彼女に告げる必要はもちろんない。
未だ感嘆したままの彼女に、今度はボクが呼び掛ける番であった。

どちらまで?







―――――故郷まで。

少し頬を染めた彼女から返ってきたのは、そんな言葉だった。
故郷まで。婚約者が待っていてくれるのです、と。
幸せそうに笑った彼女の指には、細い指輪が輝いている。
その鮮烈な光は、なんだかボクには眩しかった。目が眩むような光景だった。
なにか、無性に心の奥に重さを感じる。
どうしようもない、愚鈍としたものが全身を包んでいく。
どうしてなのかはわからない。
だけど、ボクはただそうなんですか、と答え、笑顔を作るだけで精一杯だった。
それがボクの感情の全てだった。
伺うように兄を盗み見ると、その表情から感情を計ることはできない。






それからは、たわいもない会話をボクは彼女と交わした。
兄以外の人間と話す機会などめったにあるものではない。だからそれは純粋に新鮮で、楽しい時間だった。
その兄はというと、ただ黙って外を見たまま、ボク達の会話に耳を傾け、たまにあぁ、だのうん、だの曖昧な相槌を返すだけだった。











汽車の進む速度が緩やかになったのを感じて、ボク達の会話は途切れた。
どれくらいの時が流れたのだろう。彼女が告げた故郷まであと少しの所まで来ていた。
程なく、汽車は田舎町の、小さな駅舎へ滑らかに滑り込む。
長閑な所なのだろう。子供たちの遊ぶ声が閉めた窓から微かに聞こえてくる。
完全に汽車が止まる少し前、彼女は立ち上がった。
楽しい時間をありがとうと礼を述べ、それからさようなら、よい旅をと彼女は続けた。
何と伝えるか迷ったボクが、結局さようならと答えを返した後。
やわらかに笑って、金色の髪が鮮やかな女性はデッキの方へと足を向けた。
そして、小さなその背中はボク達から離れていく。







「――――あのっ!」



突然車内に響いた声に、ボクは驚いてそちらを見た。
彼女も、他の乗客達も思わず振り返る。
その視線の先。そこには立ち上がった兄が、いた。
金の目は、それまで一度も見ようとしなかったかの女性を捉えている。 その表情は狂おしい程の、痛々しい程の、笑顔。



「あの………お幸せに」



その言葉はあまりに唐突で、ともすれば不躾でさえあったかもしれない。
しかし、兄がそれを伝えたかった存在。つまり彼女はその意味も、自身に向けられたものだともわかったようだった。
一瞬驚いた表情を浮かべた後。ありがとうございます、と殊更やわらかに、優しい笑顔をこちらに向けたのである。
それから、今度こそきびすを返して婚約者が待つ地へと降り立っていった。













彼女が去った後。再び、汽車は動き出す。
流れ始める景色は、相変わらず淡々としたものだ。
ボクも、兄さんも何も言わなかった。
ただ、互いに窓の外をぼんやりと見るだけだ。静かで、曖昧な沈黙がボク達を包んでいた。



「……あの、さ」



その空気を破ったのは、意外にも兄であった。 しかし金色の眼は窓の外を見つめたまま。


「……あいつも、きっと……きっと、大丈夫、だよな」



それはまるで、独り言だった。
大丈夫、きっと幸せになってくれている。笑っていてくれる。
汽車の音に掻き消される程の、小さな、小さな呟き。
だけど、ボクの耳には確かにその言葉は響く。いつのまにか視線は、兄を捉えていた。
しかし、厚い雲の切れ間から差し込む光のために、その表情を伺うことはできない。
ただここではない遠くを見ていることしかわからなかった。
手首のところから覗く右腕が、鈍く光っている。
それがなんだか苦しくて。ボクにできたのはうん、と頷くことだけだった。







兄さんの言う「あいつ」。
それが、誰を指しているのかは聞かなくても分かっている。
きっと、いや絶対に、先程の女性によく似た空気を纏う彼女のことなのだろう。
ボク達にとって特別で、唯一の、永遠の存在。大事で、大切な。
だけど、もう二度とは逢えない幼馴染み。
ずっとずっと兄さんを想ってくれた、待っていてくれたたった一人の女の子。



どうして兄さんがあの女性にあんなことを伝えたのかはわからない。
ボクには、想像を巡らすことしかできないのだ。
ただ、もし兄さんが考えていることが、思うことがボクと同じなら。
同じで、あるのなら。
きっとそれは切ないまでの後悔と、懺悔と、愛情と、感謝の念。
大好きです。ありがとう。ごめんなさい。ただ、それだけ。
それだけを今は逢えぬ彼女の代わりに、あの女性に託したかっただけなのだと思う。
だって、彼女の今を、これからを、ボク達が知ることはできないのだから。
どんなに願ったとしてもそれが真実で、絶対たる真理。
ただ、大丈夫だと。きっと、幸せになってくれていると。
それだけを信じることしか、祈ることしか今のボク達には許されないから。
刷り込みのように、盲信するように。ただ、それだけを。






汽車は、あの頃と変わらずに白煙をあげながら、大地を走り抜ける。
微かな振動も、揺るやかな運行音も何一つ変わらなかった。
だけど、この汽車がボク達をあの優しい故郷へ運んでいってくれることはない。
彼女の元へと連れていってくれることは、もう二度と。
窓の光の眩しさからか。それとも、今でも彼女を想っている兄を見ていられなかったからか。 ボクは目を閉じた。


閉じた目蓋に浮かぶのは、どこまでも明るく、優しいままの彼女の笑顔だ。








(元気ですか。ボク達は大丈夫です。此処で、ちゃんと生きてます。此処で、君の幸せを祈っています。祈ることしか、できないのです。ねぇ、君は笑っていますか。幸せ、ですか?)


















映画一周年記念。OVA見る限りではエドは生涯独身らしいのでこんなん書いてもきっと大丈夫(えっ)
ウィンリィには幸せになって欲しいとか思いつつ、きっとヤツはずっと想い続けるでしょう。てか続けろや!(本音)
映画後弟視点。ウィン視点の『それでもあたしは信じている』、エド視点の『そしてオレは溺れてゆく』と繋がってます。


アニメウィンリィには切実に幸せになって欲しいです(原作はきっと503は幸せになるでしょうし)