23時のレモン水










「なんか、産むのが怖い」



ソファーに膝を固く抱えて呟かれた言葉は、ひどく頼りげなかった。



「何いってんだよ。お前らしくねぇ」



四日前、電話で報告してきた声は明るかった。
そんなことを思い出しながら、ふと視線を窓の外にやる。
セントラルの闇空は忘れた頃に稲光が走り、ややあって雷が轟く。



「だってさ。自分の中に別の人がいるんだよ。あたしじゃない人が、この中に」

「アルとなんかあったのか?」

「別に。アルはいつも通り、ううん、いつもよりも優しいくらい。ただね…」

「ただ?」



しかし、向かい合った親友はそれきり黙ってしまった。
膝を抱えて蹲るようにする。
こんな彼女は見たことが無かった。
そもそも、突然訪ねてきたことが不思議なのだ。
昔から、こちらが連絡も無しに帰ることを咎める彼女だった。
普段なら、やってくる何日も前に連絡を寄越すはずだ。
だからこそ、今日が尋常じゃないことがよく解る。
立ち上がって、何か食べるかと尋ねた。
いらないと小さく答えが返ってくる。
ひそかに息を吐いて、視線を外へとやった。
止みそうもない、ひどい雨だ。
雨粒が窓ガラスに当たる音だけが部屋の中に響いている。



「今日、泊まってけよ。こんなどしゃぶりだし。
 もしアレだったら、電話してやるからから」

「……ごめん。旦那さんにも、すっごい迷惑よね」

「いいって、気にすんな。もう寝てっから。それより電話は?」

「いい。こっちに行くって置き手紙、してきたから」

「そっか」

「うん」



それきり会話はまた途切れた。
さてどうしたものかと、キッチンへと足をのばす。
とりあえず水を満たしたグラスに、レモンを浮かべてみた。
これなら、調子が良くなくても飲みやすいだろう。
それを手に戻ると、親友は行く前と同じ格好だった。



「飲めるか?」

「……ん、ありがと」



顔を上げて、彼女はそれを受け取る。
レモンの爽やかな香がふわりと鼻に届いた。
少しだけ、口を付ける。



「あ、美味しい。あんた、いつのまにこんなの作れるようになったの?」

「な、馬鹿にすんな!オレは、料理は、得意なの」

「シチュー見ててって言ったら、そのまま焦がしたヤツの台詞じゃないわね」

「それは昔の話だろ?今はオレ、料理の達人だから」

「レモン切っただけで、よく言うわ」



くすくすと楽しげな笑い声が、響いた。
雨の音がどこか遠くで聞こえる。



「それで」

「ん?」

「どうしたんだよ」



言いたいことあるんだろ、となるべく優しい声色で告げた。
それに一瞬虚を突かれたような顔になった後、彼女は今度は泣きそうなそれになった。



「あのね」

「うん」

「あたし、自信ないんだ」

「自信?」

「うん、自信。あたしなんかがお母さんになっていいのかな、とか。
 うまくお母さんやってけるのかな、とか。
 そんなこと、色々考えちゃって。そしたら急にすっごい怖くなって」

「うん」

「でも、なんかアルには言えなくてさ。
 すっごい楽しみにしてるの、わかるから」



彼女は視線を自らのグラスに注いだままだった。



「情けないよね、あたし」

「そんなこと、ねーよ」

「そうかなぁ」

「そうだって。オレもそうだったし」

「そうなの?」

「ああ。不安で、自信なんか全然、無くて。でも、さ」



ちらりと、寝室へと続く扉を見た。
今頃、息子は与えられたベッドの上で夢を見ている頃だろう。



「けっこー、どうにかなるもんだって」

「でも」

「誰だって、最初っから立派なおかーさんってわけじゃなし。
 オレだってちゃんとした親をやってる自信なんて今でもない。
 でも、現実、どうにか、やれてる」

「………」

「そんなもんだって。今から悩んでちゃ、体がもたねーよ」

「うん……」



返事はしたものの、彼女の不安は消えていないらしい。
なので席を立ち、隣に座る。
抱えた膝の上にちょこんと乗せた頭を、子供の頃のように撫でてやった。



「大丈夫。お前なら絶対、いい母親になれるって。
 オレが保障する。それでもやっぱ、自信が無かったら」

「……無かったら?」

「オレが貰って育ててやる」



真剣な声色。
だが直ぐに、へへっと悪戯をした時のように笑ってみせる。



「何よそれ」

「あれ、信じない?けっこー、マジだったんだけど」

「もー……」



返ってきたのは苦笑。
だが少しだけ、顔色がよくなったように見える。
彼女は目を閉じて、優しい声で言った。



「ごめんね。でもありがと」


















エド姉さんとウィンリィちゃんは大親友だと思います。
お互いの旦那とよりも遥かに、らぶらぶだと思います。
そんな思いの結晶(まてや)